
パーソルグループは、すべてのはたらく人たちが「はたらいて、笑おう。」を実感できる社会の実現を目指し、DEI(Diversity, Equity & Inclusion)を推進しています。
本連載では、生まれた場所や育った環境、年齢、性別、経験、価値観などの違いを可能性と捉え、多様なキャリアを歩む社員を紹介します。
第22回目は、パーソルビジネスプロセスデザイン株式会社で執行役員兼BPO事業本部長を務める藤原 理絵です。
転機となった阪神・淡路大震災
認知症になってしまった父親の介護が始まった時、「私がやらなきゃ」「ほかの人に迷惑をかけてはいけない」と仕事と介護を一人で抱え込み、心身ともにギリギリまで追い詰められた——。
その経験から、「自分と同じことを部下にはさせたくない」「多様なはたらき方を根付かせて、誰もが活躍できるように社内の環境を変えたい」と藤原は語ります。
もともと仕事一筋だった藤原自身も、はたらき方にメリハリをつけるようになったと言います。その背景とは?
岡山で生まれ育った藤原は、新卒でエンジニアとして岡山の製紙会社に入社しました。しかしすぐに結婚し、わずか1年で退社。転居した先の神戸で人生の転機となったのが、1995年1月に起きた阪神淡路大震災です。
その後まもなく離婚し、2歳の娘を連れて岡山の実家に戻った際、仕事を探しながら思い浮かべたのは、被災した時に支えてくれた人たちでした。
「震災の時、本当に周りの人たちに助けてもらったので、次に自分が就職するなら、人の役に立つ仕事がしたいと思ったんです」
ハローワークでその想いを伝えた時、担当者から「テンプスタッフという会社がやっている人材派遣というサービスがある」と聞きます。それがきっかけとなり、1995年、25歳の時に岡山支社の営業に就きました。
同居する父親から「シングルマザーだからって甘えるな。一緒に住んでもかまわないが、援助はしない。自分で稼いで、娘を大学まで出しなさい」と言われていた藤原は、わき目もふらずにはたらきます。現在のような就業規則が定まっていなかった当時は、営業を終えた後、娘を保育園に迎えに行き、オフィスに連れてきて残業していたと苦笑します。
ガンの母親と認知症の父親の介護
2003年、母親にガンが見つかり、最初の介護が始まりました。それまで必死に業績を上げてマネジャーになっていた藤原は、同じようにはたらくのは難しいため、女性の上司に「マネジャーから降ろしてください」と伝えました。その時、上司から「介護の問題はみんなが通ることだから、もっとメンバーや他拠点のマネジャーを頼ってもいいんじゃない?」と言われて、気が楽になったそう。
周囲のサポートもあり、2年間、仕事と介護を両立。母親を看取った藤原は、「娘を大学へ」という父との約束を果たすため、それまで以上に仕事に励み、広島、福岡、神戸、大阪と単身赴任。2013年に運用マネジャー、2016年に部長と昇進していきます。
その間に娘を大学に進学させ、親の務めを果たせたとほっと一息ついたのも束の間、2017年、岡山で一人暮らしをしていた父親の認知症が発覚します。「お金が数えられない」「家に泥棒が来た」という話をするようになって受診し、認知症と診断されてから、日中に電話が30回もかかってくるようになるまであっという間でした。
「認知症なので、電話をかけたこともすぐに忘れてしまうんですよね。父はタバコを吸っていたので、いつ家が火事になるかとか、一人で家を出て行方不明になるんじゃないかと想像して、常に気を張っていました」

当時、闘病中だった姉には頼ることができず、「父を看取るまで、私ががんばらなきゃ」と毎週末、オフィスのある大阪から岡山の実家に戻って介護するようになりました。
前年に部長になったばかりで仕事の責任も大きい中、岡山の実家まで片道2時間の遠距離介護。「私はボケてない!」と認知症を認めない父親の症状がどんどんひどなっていくのを目の当たりにし、日曜の夜、大阪に戻る新幹線の中では不安と罪悪感で毎回泣いていたとのこと。
部下に打ち明けて気付いた「人に頼る」ことの大切さ
疲労も重なり、限界を感じ始めたころ、大阪で経営の指導をしてくれていたシニアアドバイザーの男性から助言を受けました。
「今の状況を部下のマネジャーたちに一回話してみたらどうや?一人で全部抱えるなんて、そんなん無理やで」
その時すでに「しんど過ぎる」と感じていた藤原は、思い切って部下に打ち明けました。その時のことを、こう振り返ります。
「部下に『なんで早く言ってくれなかったんですか』『カバーするから、もっと仕事を振ってください』と言われて、号泣しました。迷惑かけたらあかんっていうのが大きくて話していなかったんですけど、そのせいで部下たちは何か変だと思いながらも気を遣って声をかけられなかったそうで、結局、迷惑をかけていたんだっていうことが分かりましたね。このタイミングで部下に話していなかったら、私は潰れていたと思います」

それからは部下たちの理解も得て、仕事の負担を減らしながら介護にあたることができるようになりました。
これを機に「人に頼る」ことの大切さを知った藤原は、実家の近隣に携帯番号を書いた名刺を持って挨拶に行き、事情を話して「何かあれば連絡をください」と頼んで歩きます。すると、近隣の人たちが父親に食事を食べさせてくれたり、デイサービスの送迎に対応してくれたりと親身になって手助けしてくれました。いよいよ症状が悪化し、施設に入居せざるを得なくなった時も、「俺のとこで預かるよ」と言ってくれたのは、特別養護老人ホームの施設長をしていた高校の同級生でした。
「施設に預けたことで、火事や行方不明の不安もなくなり、日中に電話もかかってこなくなって、ようやく仕事に集中できるようになりました。遠距離介護はものすごくしんどかったんですけど、メンバーとか上司とか近所の方とか、いろいろな人たちに支えてもらってなんとか乗り越えられました」
課題を解決するために必要な「権限」
藤原が執行役員に就いたのは、2020年の春。全国を管掌するようになったため、大阪から東京に転勤しました。もともと出世には興味がなかったそうですが、シングルマザーとしてはたらきながら子育てと両親の介護を経験したことで、次第に「権限を持つこと」を意識するようになったと言います。
「マネジャーや部長になると、女性メンバーの中には結婚してはたらき方や子育てに悩んでいる子がいて、相談を受けることが増えたんです。その時、自分みたいなしんどい想いをほかの人にさせたくないから多様なはたらき方を実現しようと思うと、それができる権限が必要だと気付きました」
藤原が権限の必要性を感じたのには、理由があります。世の中ははたらき方に関する法律の整備が進み、それに合わせて社内の制度も拡充してきました。しかし、その制度を気兼ねなく利用できるような環境や文化があるのかという点に関して、疑問を抱いていたのです。
「私は女性社員からの相談に対していつも『家族を優先するように。その上で子どもが大きくなったり、自分に余裕ができたら、後輩にも同じように接してほしい』と伝えてきました。でも、家族を優先するために制度を使おうとすると、周りがどう思うんだろうとか、仕事の評価が下がるんじゃないかとか、心理的な不安を持つ方がすごく多いんですよ。だから誰もが安心して制度を使うことができる環境をどうつくるのかが大切なのに、それがまったく足りてないと思っていました」

「虹の輪プロジェクト」がスタート
藤原が所属していたパーソルテンプスタッフのBPO部門とパーソルワークスデザイン株式会社・パーソルプロセス&テクノロジー株式会社が統合し、パーソルビジネスプロセスデザインが発足したのは2024年10月。この統合に携わった藤原は、関連業務がひと段落した2025年4月、自身がリーダーとして名を連ねるDEI委員会として「虹の輪プロジェクト」を発足させました。
このプロジェクトは、多様性を表す「虹」で各事業部をつなぐという意味で、名付けられました。委員会は6名で構成され、各事業部の部長が男女半々で参加しています。
当初は、パーソルグループが掲げる女性管理職の割合などDEIに関する目標数値をどう達成するか、情報共有をする場でした。そこでそれぞれの悩みや課題を聞くと、共通点が見つかります。たとえば、上司から管理職への昇進を打診されてもその気がないという女性社員が多いこと、昇進しても身近にロールモデルがいないことなどが挙がりました。
そこで「目標を達成するために何かをするのではなく、取り組みの結果として目標が達成されるべき」という話になり、方向転換します。
「これから管理職やエキスパートになるだろう人たちの気持ちを聞いた上で、どういう取り組みができるかを考えるようになりました。それで、なぜ管理職になりたくないのかというアンケートを取ったり、管理職になったばかりの人に登壇してもらって具体的な仕事の内容やリアルな経験談を話すような社員向けのセッションを始めました」
アンケートの回答を見ると、藤原が感じていたように「待遇や制度を整えれば管理職になりたい人が増える」という単純なものではなく、男女ともにさまざま要因や価値観があることが分かりました。その結果を受けて、アプローチの方法を模索しています。
「最近は、管理職にならなくてもいいという前提で、自分がどこに向かったらいいかというモヤモヤを解消するためのイベントをSBU全体で開きました。自分の事業部と違うところではたらく先輩からアドバイスをもらう機会をつくりたかったんです」
「虹の輪」プロジェクトを始めて1年半が経った今、「目標達成に至るプロセスがすごく大切で、いかにコミュニケーションを取るかが重要だと分かりました」と語ります。このプロジェクトに関わることで、藤原自身も変わり始めました。
「市村さん(パーソルビジネスプロセスデザイン社長)からは、私がバリバリはたらきすぎることで、『藤原さんみたいにはたらかないと昇進できない』と感じる人たちが増えるから、女性執行役員として自分を戒めてほしいと言われました(笑)。それからはなるべく早く帰宅するようにしたり、しっかり休みを取ったりするようにしています」
時間ができたことで、視野が広がりました。定年退職まであと2年半となった今、藤原は会社に何を残せるかを考えています。
「介護離職の問題にも手を付けたいと思います。目先の仕事というよりも、この会社ではたらく人たちのためにより良い環境を作る役割をしっかりと果たして定年退職したいですね」
<プロフィール>
藤原 理絵(ふじわら りえ)
2000 年(平成 12 年) 8 月 テンプスタッフ株式会社(現パーソルテンプスタッフ株式会社)入社
2017 年(平成 29 年) 4 月 テンプスタッフ株式会社西日本アウトソーシング事業部部長
2019 年(平成 31 年) 4 月 パーソルテンプスタッフ株式会社西日本 OS 事業本部 本部長
2022 年(令和 4 年) 4 月 パーソルテンプスタッフ株式会社執行役員 第一・第二 BPO 事業本部本部長
2023 年(令和 5 年) 4 月 パーソルテンプスタッフ株式会社執行役員
第一・第二 BPO 事業本部、ビジネスプロセスデザイン本部 本部長
パーソルワークスデザイン株式会社取締役(非常勤)
2024 年(令和 6 年)10 月 パーソルビジネスプロセスデザイン株式会社 執行役員 《現任》
パーソルグループは、「“はたらくWell-being”創造カンパニー」として、2030年には「人の可能性を広げることで、100万人のより良い“はたらく機会”を創出する」ことを目指しています。
さまざまな事業・サービスを通じて、はたらく人々の多様なニーズに応え、可能性を広げることで、世界中の誰もが「はたらいて、笑おう。」を実感できる社会を創造します。




