デュアルライフで「はたらかない時間づくり」を。限界の挑戦で広げた、人生と仕事の選択

リモートワークの普及など、はたらく環境が劇的に変化する中で、「自然の中で過ごしたい」「地方ではたらきたい」という人が増えています。今年6月の内閣府の調査(※)では、東京23区に住む20代の約35%が「地方移住への希望が高まった」と回答。一般的に理想とされてきた「職住近接」というあり方が、大きく変わりつつあります。

これまで、都市に住む人が地方ではたらくには「移住」「転職」という、高いハードルがありました。しかし、もっと柔軟に地方と関わることができる、新たな選択肢がいま生まれつつあります。今回の連載では、「多拠点生活」「デュアルライフ」「地方複業」「オンラインコミュニティ」という4つのスタイルを紹介します。
(※)「新型コロナウイルス感染症の影響下における生活意識・行動の変化に関する調査」(2020年)

今回ご紹介するのは「デュアルライフ」。日本語にすると、二拠点生活。2つの地域に拠点を持ち、生活することです。
『週末は田舎暮らし』(ダイヤモンド社)の著書である馬場 未織氏は、平日は東京で暮らし、週末は千葉県南房総市の里山で暮らすというデュアルライフを実践されています。
デュアルライフは「自分が生きるうえで譲れないこと」を気付かせてくれたという馬場氏。住む場所の選択肢が、生活や「はたらく」にもたらしたものについて聞きました。
※本記事は、パーソルグループが協賛・企画協力した「NewsPicks Brand Magazine Vol.2 これからのはたらき方・生き方」から転載しています。


子育てがもたらした居住の「選択肢」


馬場氏:幼いころ、建築の仕事に携わる両親が毎晩遅くまではたらく姿を見ていました。だから当時から「大人は忙しくはたらくのが当たり前だ」と思っていたんです。両親は仕事に対する愚痴が少なく、忙しいながらもやりがいを持ってはたらいているように見えました。
その環境で育った私も、とにかく昔からはたらくことが好きでした。大学院修了後、建築事務所で意匠設計の仕事に就きましたが、当時は「10時から25時まで仕事をして、終電で帰る」というハードな生活が当たり前。なんとしてもいいものをつくりたいという思いが強かったので、プライベートの時間がもっと欲しいとか辞めたいとか考えたりはしませんでしたね。

その会社員時代に、当時お付き合いしていた男性と結婚しました。彼は私と同様に深夜まで仕事をこなすタイプ。だから、結婚したからといって、私たち2人の生活スタイルが大きく変わることはありませんでした。

転機になったのは、長男の出産です。私は妊娠9カ月目まで仕事をしていたほどで、産後もすぐ仕事に復帰するつもりだったんです。ところが、いざ子どもを産んでみたら……とにかくかわいかったんですよ。自分でもびっくりするくらい、子どもの成長に夢中になりました。そのときに「ひとときも、子どもの成長を見逃したくない」と、心から思ったんです。それで、産休後会社に復帰するのをやめて、そのまま専業主婦になる道を選びました。母からいわれた「子育てほどクリエイティブなものはない。はたらくばかりがクリエイティブではない」という言葉も、後押しになったと思います。

子どもたちは「私がつくる」というよりも「私をつくってくれる」存在。少しずつできることが増えていくのは、人間の進化を見ているようで新鮮でした。子育てを「クリエイティブ」と表現した母の気持ちも理解できましたね。

ただ、子どもが2歳を迎えたころには子育てにも慣れてきて、少しずつ「仕事がしたい」と思い始めました。そこで、自宅でもできる、建築ジャーナリストとしての文章の仕事を始めたんです。


自意識を持たずに暮らせる場所へ


馬場氏:私は東京生まれ、東京育ち。東京から離れるなんて考えたこともありませんでした。東京は快適で、不便もないですからね。それが二拠点生活に至ったのは、子どもの存在があったからです。

長男は、成長するにつれて生き物に興味を持ち、図鑑を広げては動物や植物の名前を私に教えてくれるようになりました。「図鑑だけじゃなく、本物を見せたい」「五感で自然を感じてほしい」と思っても、都会暮らしではなかなか自然と触れ合うことができません。休みの日に、生き物を捕まえに遠出するのが精一杯でした。

そんなとき、夫が「二拠点生活を始めてみないか」と提案してきたんです。思ってもみないことでしたが、想像してみるとすごくわくわくしました。両親も東京で暮らしているので、完全な移住は考えられない。でも、車で移動できる範囲の拠点をもう1つ持つのは、私たち家族にとってとても良いことではないかと思ったんです。

さっそく、「東京から車で2時間以内に行ける」「自然の多い場所」という条件で、拠点探しを始めました。最初は丹沢あたりを見に行って、その後、いま暮らしている南房総に足を運びました。

南房総にはまったくなじみがなく、足を踏み入れるのさえほぼはじめてでしたが、行ってみて程なく「ここだ!」と直感。実際に暮らしてみて、その直感は確かだったと分かりました。ここは、「自意識がなくても暮らせる場所」なんです。


南房総にある馬場氏のご自宅は、築100年以上。昔から暮らしてきた農家の人たちの生活に寄り添いたいという思いから、家にはほとんど手を入れていないという。

東京にいると、私たちは知らず知らずに人の目を意識しながら暮らしている。「どう思われるのか」「どう見られるのか」──そんな「邪念」ともいえる感情がはたらいてしまう。でも、自然にあふれた生活は、私からすっかり邪念を取り去ってくれました。

田舎暮らしは「伸び伸び暮らせる」なんていわれますが、それは豊かな自然による開放感だけでなく、その環境によって私たちの心が解きほぐされることを指しているのだと思います。


あえてリスクを取る決断で
分かること


馬場氏:こう話すと「二拠点だなんて、余裕があっていいな」と思われるかもしれませんが、決してそんなことはありません。私たちの二拠点生活は、「挑戦の限界」に玉を投げ込んで、リスクを取って手に入れた暮らしなんです。購入費も決して安くはないから、ポンと買えるわけではなかったし、理想の家を探し当ててから実際に暮らすまでには1年ほどかかりました。

でも、大きな決断だからこそ、後悔しないように精一杯楽しもうと思える。熟慮も必要だけど、ある程度考えたらそこからは自分たちの責任で「えいやっ!」と飛び込むしかない。若いからこそできた選択だとは思いますけど(笑)。

デュアルライフを始めて今年で14年目。いまも平日は「東京の自宅」で暮らし、私は子どもを学校へ送り出してから、日中に仕事をします。そして金曜の夜になると、家族で荷物をまとめて車に乗り込み、「南房総の自宅」まで向かう。そんな生活を続けています。気が付けば、大学生の長男が友人たちを誘って、家族抜きで南房総に行くことも増えてきました。東京と南房総の生活が、シームレスに繋がりつつあると実感しています。


はたらかない時間を
どう生きるか


馬場氏:思い返せば、この14年で私の考え方もライフスタイルもずいぶん変わりました。当初はまったく考えもしなかった、街づくりに関わる事業を始め、里山・里海環境を残す事業も、仲間とコミュニティをつくって続けています。

東京だけを暮らす場所だと思っていたころの私には、はたらく時間が何より重要でした。でも南房総での生活は私に「生きることとはたらくことは、いずれ溶け合い、混ざっていく」と教えてくれた。
私たちは生きるためにはたらくわけではないし、はたらくことだけが生きる目的でもないんだ、と。

そのことに気付いたら、はたらく時間をもっと楽しむために、「はたらかない時間づくり」も必要だと思うようになりました。はたらかない時間をどう生きるのかが、自分が生きるうえで譲れないことを考えるきっかけになるからです。それに、「はたらく時間」から少し離れることによって、思わぬ発見をすることもあります。私が、子育てはクリエイティブだと気が付いたときのように。

どうすれば自分らしく暮らし、はたらけるのか。残念ながら私からの明確なアドバイスはありません。お話ししたのは、あくまで私のケースです。ただ1つ、私の経験からいえるのは、「リスクを取りにいく選択」は、自分のキャパシティを大きく広げてくれるということ。不安を抱きつつも、想像力をはたらかせて、最後は飛び込むようにして選び取る。そういう経験は、必ず自分を成長させます。

成長した自分が、何を心地よいと感じ、何に価値を感じるのか。「はたらかない時間」に目を凝らすと、自分なりの答えが見えてくるかもしれません。

馬場 未織
日本女子大学大学院修了後、建築設計事務所勤務を経て建築ライターへ。2014年ウィードシードを設立。07年より家族5人とネコ2匹を連れて「平日は東京で暮らし、週末は千葉県南房総市の里山で暮らす」というデュアルライフを実践。11年に任意団体「南房総リパブリック」を設立し、12年に法人化。現在はNPO法人南房総リパブリック代表理事を務める。著書に『週末は田舎暮らし』(ダイヤモンド社)など。

Text by Shino Suzuki / Photo by Nanako Ono

次回は、地方複業編をお届けします。

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