<還暦以降の私のはたらき方①>私がはたらき続けるのは達成感を感じ続けたいから

人生100年時代に伴い、はたらく期間が今よりも長くなっていくと言われています。はたして自分は何歳まではたらくのか、何歳まではたらけるのか、はたらいた方がいいのか、不安を募らせている方もいるかもしれません。

そんな中、パーソルグループには、還暦を過ぎてもはたらき続けることを前向きにとらえ、現役で活躍し続ける社員がいます。彼らがはたらき続ける理由とは何か。3名の社員に聞きました。初回は、パーソルホールディングス株式会社の野村 昌志です。

野村 昌志
パーソルホールディングス株式会社で法務部長を担いながら、パーソルプロセス&テクノロジー株式会社の法務グループ長・リスクコンプライアンスグループ長を兼務。
社会人になってから法務一筋。現在64歳。

野村を一言で表現するなら、「フットワークが軽い」という言葉がまず浮かぶほど、軽やかでいい具合に肩の力が抜けている印象の人物です。この印象は年の功なのか、はたまた彼のキャラクターによるものなのか。

「私、そもそも自分は64歳ではなく、本気で44歳くらいだと思っていまして。ちょっと疲れてくると『あ、やっぱり54歳だったかな』って錯覚しますけどね」

なんと気持ちは実年齢よりも20歳も若い野村。気持ちの上で44歳なのであれば、実年齢が還暦を過ぎてもはたらき続けるのは自然なこと。そんな彼が醸し出す雰囲気は、決してキャラクターだけではない、経験から身につけたワークスタイルからにじみ出るものでもありました。

目次

法務からの脱却を図ろうとした社会人初期の時代

野村は新卒で大手機械メーカーに入社し、定年まで勤め上げました。それも、一貫して法務として。

「こんなことを言ったら元も子もないのですが、実は法務が天職だと思って、ずっと続けてきたわけではないんですよ。入社時も営業職で入社したのに、新設された法務部門に人が足りないから、誰か大学で法律を学んでいた者を、って法務に配属になって……。目の前の業務をこなしながらも、『いつか法務以外の業務も担当してみたい!』ってずっと思っていました」

5年後にそのチャンスが訪れ、会社から声がかかって、2年間、ビジネススクールに留学することに成功。そして、修了したあかつきには、身につけた知識を武器に、別の部署に異動することを目指して、必死に勉強に取り組みました。

ところが、法務は野村を手離してくれませんでした。当時はさまざまなプロジェクトが動いており、法務としての経験とビジネスのノウハウを学んだ野村は、いろんな場面で重宝され、結果この経験がその後の野村をつくり上げる転機になったのです。

「ビジネススクールで知識を身につけ、視野を広げられたことが一つの自信になりました。さらに、社内の評価として『野村は法務だけではなく、ビジネスも分かっている』というブランディングになり、本当に貴重な経験をたくさん積ませてもらいました。会社の命運をかけた大きな海外提携案件などを任されるようになり、結果的にそのプロジェクトで法務以外のことも担当することも。その実績が確固たる自信につながったと思います」

法務からの脱却を図るはずだったビジネススクールの経験が、思いがけず、その法務の仕事をより深く、より広くするきっかけとなりました。

気持ちは現在も40代の野村。服装だって若々しい

契約交渉決裂の危機、救ったのは火事場の馬鹿力

法務として会社の中でも確固たる地位を築いてきた野村が、退職を意識したことがあります。それは、アメリカの会社とのジョイントベンチャー設立の法務の責任者として、約1年半準備していたときのこと。ニューヨークやサンフランシスコに何度も交渉のために出張し、契約締結まであと一歩、というところまで来た時に契約スキーム上の致命的な問題が発覚したのです。

「これまで積み上げてきたことが、音を立てて崩れました。まだ、30歳を超えたばかりの時でしたが、これは辞表を出さなければならないだろう、と覚悟しましたね」

ただ、野村は「切り替えが早い」という特技も持ち合わせていました。絶望の帰路、ニューヨークから成田まで11時間、会社に迷惑をかけて退職するのであれば、せめて何か残したいとの想いで、別の契約・ビジネスのスキームを考え始めたのです。

「気圧のせいなのかもしれないですけれど、飛行機の中って普段思いつかないような発想が出ることがあるんです。そこであるアイデアを思いついたんですよ。これなら大丈夫じゃないかと思えて、帰国した翌日に、役員の前で『これまでの交渉の時間が無駄になってしまい申し訳ありませんでした。しかし、こういうやり方で組み直すことができると思います』とそのアイデアをプレゼンしてみたところ、『あ、なるほどね。じゃあそれでやってみよう』となりまして。そこからまた怒涛の日々でしたね」

結果的にこの事件が、その後の人生を歩むさらなる武器につながったのです。

「仕事をしているとどうにも苦しいときってありますよね。そういうときは発想の転換が必要だって、このときの経験から学んだので、何か壁にぶつかったときは、散歩したり、乗り物に乗って、一旦、頭を白紙にするようになりました。それによってその後、困難な場面に出会っても、必ず何か解決策は見つかると思うようになり、心にゆとりが生まれました」

野村が醸し出す軽やかさは、こんな修羅場を乗り越えたからこそ得られたものでもあるのでしょう。

大きくなくてもいい、達成感こそが原動力

野村が定年を迎えたとき、奥さまはその数年前に他界されており、子どもたちは独立。退職金もあったことでしょう。それであれば、山登りなど自身の趣味の時間を謳歌しても良かったのではないでしょうか。しかし、「気持ちの上では40歳」という野村ははたらき続けることを選択しました。

「やっぱり誰かの、何かの役に立てていることを感じたいんですよね。事業提携や新しいサービスの契約書を作ったり、いろいろな法務関係の相談事や問題を解決したり、そういう一つひとつの仕事を完成させることに達成感を覚えます。あ、もちろんお金の面も心配で、老後に備えたいという気持ちもありますけどね(笑)」

大きなものでも、小さなものでも、達成感を毎日感じ続けられること。それが、彼がはたらく主な理由です。会社や事業部門、それに自分の部門のメンバーのためになっている、そんな「達成感」を日々感じられることが、人生において大切なことなのだと言います。

そんな野村がパーソルに入社したきっかけは、不思議な縁でした。

「前職では定年退職者の支援制度がありまして、パーソルキャリアコンサルティング(再就職支援事業を展開)の方を紹介してもらったことが始まりです。そこでパーソルテンプスタッフの法務ポジションを紹介されて面接したんですが、その面接官の方にパーソルホールディングスの方がいいと思うと言われて、そのまま面接を受けて、入社することに。ある意味成り行きで今に至っています(笑)」

とはいえ、実は前職のグループ会社の一つに人材派遣会社があり、その会社をパーソルに譲渡する際に、パーソルとはすでに契約交渉での接点があったそう。この出会いは必然だったのかもしれません。

野村はパーソルホールディングとグループ会社のパーソルプロセス&テクノロジーを兼務しており、各社でマネジメント業務も担当しています。2022年度、パーソルプロセス&テクノロジーの社員総会の場で、ベストマネジメント賞を受賞。最高齢での受賞、歴史の1ページを刻んだ瞬間でした。

社員総会でのベストマネジメント賞受賞のスピーチ

誰もやらない仕事の先に何かがある

実は多趣味である野村にとって、やはり人生の中で趣味に費やす時間も設けたいという想いがあることも事実。

「さすがに、最後の数年間は海外旅行などを楽しみながら、ゆっくりしたいなぁとは思いますけど、それでも環境が許すなら、あと10年ははたらいていたいですね。多少記憶力が衰えていることは否定できませんが、体力も40歳並みにあるし、まだ体も動くので。そりゃ、今もしんどいな、ってことはときどきありますよ。業務が立て込んで遅くなる日が続くこともありますし。それでも土日にはリフレッシュできるので、月曜日には気力も体力も回復しています。そしてまた何か終わらせる達成感を得る。それを味わいたいがために仕事をしているのでしょうね」

幼少期から何かを創ることが好きだった野村は、絵を描くにせよ、工作するにせよ、「創り終わった」という達成感がとても気持ち良かったと語ります。そういったできたことに目を向け、何か一つ終わらせたことに達成感を感じる。そういったしなやかに物事を捉えることが野村流のはたらき方なのでしょう。

最後に、若い人たち、はたらき盛りの人たち、そしてこれから還暦を迎える人たちに向けて、こんな言葉をもらいました。

「みんなが嫌がってやらない仕事を率先してやるといいですよ。私の経験上、その先には実は意外と知られていない美味しい果実が実っていることが多くありました。私にしか通用しない法則かもしれないですけど(笑)、少なくとも人と違うことをするというのは結果的に何かにつながっていくと思います。みんなが嫌がってやらない仕事があったら、一つのチャンスとしてぜひトライしてみてください」

どんな果実が実っているか、それは行動をした人にしかわかりません。野村からの教訓が正しいか、自分の目で確かめてみるのもいいかもしれません。

趣味の一つは登山。まだまだ登りたい山はたくさんあります。
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