人生の新しいステージに進む。その幸せな瞬間を創る仕事。丸山 直晃/PERSOL Group Awards2025 歩み続けるそれぞれのストーリー

パーソルグループでは年に1回、グループ内表彰「PERSOL Group Awards」を実施しています。「PERSOL Group Awards」とは、グループビジョン「はたらいて、笑おう。」を象徴するパーソル社員とその仕事の成果に贈られる、グループで最も栄誉ある賞のこと。各SBU、およびユニットに貢献し、提供価値を創出した社員を表彰しています。

本連載「歩み続けるそれぞれのストーリー」は、2025年度「PERSOL Group Awards」を受賞した社員たちそれぞれが、どんな人生を歩んで成長し、受賞の栄誉を勝ち取るに至ったのか——。彼らの人生を形づくるバックボーンや、仕事への情熱、そして大切にしている想いが生まれたエピソードなど、これまでの歩みをストーリーでご紹介します。

プロフィール:
パーソルダイバース株式会社 丸山 直晃(2023年入社)

受賞案件サマリ:
通勤やフルタイム勤務などが困難な重度身体障害者に対し、新たなはたらき方「重度身体障害者×短時間勤務×フル在宅」を確立したのが、パーソルダイバースの丸山。2024年3月から採用活動を開始し、約1年間で43名の重度身体障害者の雇用を創出しアワード受賞を獲得した(2025年6月時点)。

目次

学生時代のアルバイトが、その後の自分の生き方を決めた

「幸せな瞬間」に立ち合う。それが何よりも自分の心を躍らせる。

そのことを知ったのは、学生時代に始めたホテルでのアルバイト。たまたま求人を見つけ、軽い気持ちで応募したウェディングのホールスタッフだった。初日、会場に足を踏み入れ、一気に心をつかまれた。大きなホールが、笑顔であふれている。誰もが新郎新婦の幸せを願っている。その温かい雰囲気に、知らず知らずに自分も笑顔になっていた。一方で気持ちは「絶対に失敗できない。最高の式にするお手伝いをしなければ」とギュッと引き締まった。
毎週末、1日2件の結婚式ではたらくバイトの時間が、すぐに大好きになった。新郎新婦とご両親やご親族の皆さま、お祝いに駆けつけたご友人や知人の方々。集まったすべての人に幸せな時間を楽しんでほしい。新郎新婦の大切なライフイベントを、最高の思い出にしたい。そんな気持ちで一生懸命にはたらいた。
その姿勢が買われたのか、すぐにご友人などのテーブル担当から、ご両親やご家族が座るテーブルの担当を任されるようになった。「結婚式は親のため」という人もいるほど。重要なテーブルで大任だ。決して失礼がないよう、心を込めて接客した。何よりも「かけがえのない今日という日を、ともにお祝いさせていただいている」という気持ちを大切にその場の雰囲気を壊さないようにして。
ご両親が各テーブルを回ってビールを注ぎながら挨拶される際にフォローをするときは、タイミングを見て「ごゆっくりで大丈夫ですよ」「本日はおめでとうございます」など、さりげなく声をかけたりする。「緊張していたけれど、あなたの笑顔で安心できました。おかげで良い式になりました」と言葉が返ってくるとうれしかった。披露宴が終わって、席をお立ちになる際に言っていただくこともあった。その言葉に、「結婚式を、ずっと笑顔で振り返っていただける素敵な思い出にできた」と、ほっとした。

大学時代、このバイトが何より楽しんで打ち込めたことだった。そして、自分が向いている仕事、やりたい仕事の核が決まったバイトだった。
人と人が手を取り合って、人生の新しいステージに進む。幸せいっぱいの気持ちで。そのお手伝いがしたい。
それが何より、自分の心を躍らせる仕事なのだ。

「心を躍らせながらはたらけるのはどんな仕事か」の答えが見つかった

就職したのは、赤ちゃん向けの製品を販売している会社。
新しい家族が生まれる、その準備やお祝いの品を買いに、お客さまが来店される。笑顔と幸せを願う気持ちに、たくさん出会える職場だった。
接客では「自分も一緒に心からお祝いしている」という雰囲気を大切にしたし、結婚して子どもが生まれてからは「父親として」「妻がどんなことを望んで、喜んでくれたか」といったエピソードも交えてご提案するようにした。
「これで赤ちゃんを迎える準備がしっかり整いました」
「何を買えばいいか悩んでいたけれど、すごく助かった」
と笑顔で「ありがとう」と言っていただけることに、やりがいを感じていたし、心も躍っていた。

その会社には18年勤めた。その間に、副店長から店長に、スーパーバイザーやエリアマネジャーとキャリアアップを果たし、さらにはフランチャイズの立ち上げなど責任ある業務も任されるようになり、新人教育なども経験した。
ファーストキャリアに挑戦する新卒社員や、異業種に飛びこんできた中途社員、さらにはフランチャイズの新店の店長を任されて新しいキャリアを歩み始める人など、結婚や出産だけではない「新しいライフステージに挑む」人たちと出会ってきた。そのたびに「この新しいライフステージで、幸せになってほしい」と思い、自分がしっかりお手伝いしたいとがんばった。ここにも、ウェディングのバイトで目覚めた楽しさややりがい、心が躍る瞬間があるのだと、気付くことができた。

「人のため」。それが自分がはたらく上で、絶対になくてはならない要素になった。

さまざまな人に出会い、たくさんの経験を積んで、気が付けば40歳が目前に迫っていた。
「世の中にはこんなにたくさんの人がいて、たくさんの業種や企業がある。でも、自分は一つの業界、しかも一社でしかはたらいていない」
そのことに思い至り、不意に「もっと広い世界を見よう」という気持ちが湧いてきた。
「人のため」になれる、別の会社。できればこれまでの経験を活かせる場所。そんな仕事に転職したい。

そうして探したのが、保育園を運営する企業。運営する園の数を一気に拡大し、猛スピードで成長している企業だった。「子どもたちのため。親のため」といった理念に、希望を持って飛びこんだ。「これまでのスーパーバイザーやエリアマネジャーの経験がここでも発揮できる」「たくさんの子どもたちを受け入れる場がつくれる」と期待して。
ただ、この会社は2年弱で辞めることになる。企業が掲げる理念と、成長を追い求める経営層の描くビジョンにギャップがあった上層部の大きな不協和音は現場にまで聞こえ始めた。「この状況では目の前にいる社員である保育士、そして子どもたちとその親御さんに誠実に向き合えない」と感じてしまったのだ。自分が大切にする「人のため」をまっとうできないことが辛かった。それが辞める原因となった。
「人のためになる仕事に就く。それは何があっても譲れない」
そのために誰かが笑顔になる手助けができる仕事に就きたい、と挑んだ転職活動で出会ったのが、パーソルダイバース(当時のパーソルチャレンジ株式会社)だった。

「健常者と障害者の違いはいったいなんだろう」という疑問に答えを出すために

「人に軸を置き、人を大切にする会社」
パーソルダイバースについてそう紹介されて、まず興味を持った。そして障害者雇用を事業としている会社と巡り会ったことに、縁を感じた。

自分の両親には障害がある。障害のある友人もいる。これまで周囲に障害のある人たちがたくさんいる環境で生きてきた。
「いつかはみんなのためになる仕事も手がけてみたい」と思う一方で、「みんなはたらき、活き活きしている。時には自分にアドバイスをくれ、導いてくれることもある。障害があるとはいえ、それ以外でみんなと自分はいったい何が違うのだ」と社会の見方や扱いに疑問を感じてもいた。特に父ははたらいて自分を育て、大学にも進ませてくれた。今でも時にアドバイスをくれ、叱ってもくれる尊敬する人生の先輩だ。「すべての障害がある人が、父のようにはたらく機会を持てるべきでは?」「でも実際はそうなっていない。自分は障害のある人のためになにができるだろう?」とどこかで思っていたのだ。

そんな自分の心に、パーソルダイバースの「私たちは、はたらく可能性とよろこびを広げ続ける企業です。」の言葉が刺さった。ここでなら、答えが出せるんじゃないか。何より「人のため」にはたらけ、また心躍る日々が過ごせるんじゃないか。そんな期待を持って、2023年、パーソルダイバースに入社を決めた。

はたらき始めてすぐ、期待は確信に変わった。
パーソルダイバースは、障害者を「社会に新しい価値を生み出す多様な人材」と捉えている。自分が配属された部署では、障害者を社員として雇用し、各社員が自分らしさを活かしてはたらき、活躍することを目指している。障害者に「はたらく機会を提供する」ことが目的ではなく、「はたらくことで、その人が自分らしく生きられる」ことを目指しているのだ。だから障害者は「何かをしてあげる」対象ではなく、ともにはたらく仲間なのだ。
求めていた世界が、ここにあった。心が躍った。これまで以上に、ワクワクした。

はたらいて、笑う。それは自分の存在意義を感じながらはたらき、自分らしく生きること

2023年、アワードに選出された「重度身体障害者の雇用」に関するプロジェクトが始まった。重度身体障害者を、完全在宅勤務のフルリモートかつ短時間勤務で雇用するという、かつてない挑戦だ。
重度身体障害者には、介護が必要で医療的なサポートが欠かせない人もいる。生まれつきの先天的な障害や、事故や病気で身体的な制約がある人が多いため、通勤は困難で、フルタイムでの勤務も難しい。企業にとって雇用する負担が大きいのが実情だ。そこで発想を逆転させ、障害の度合いに合わせてフル在宅かつ短時間勤務で雇用すればいいのでは、というのがこのプロジェクト。

重度身体障害者かどうかは、医学的な判断に基づいて認定される。つまり、仕事をする困難さや業務スキルの高低で判断されたものではないのだ。環境や業務内容によっては、十分に成果を上げることができる人材もいる。
「背が高い低いや、得手不得手があるという個性と同じように、障害もその人の個性だと捉え、個性に合った仕事を探せるようにすればいいのでは」と考えるようにした。自分が自分に合った仕事を探したように、重度身体障害者も障害という個性に合った仕事を探せれば、就業のハードルはもっと下がるはずだ、と。

実現への道のりは困難だった。重度身体障害者の雇用のノウハウを持つ全国の企業、リハビリテーションセンターやハローワークなどを訪問して意見を募り、最適な雇用形態を探った。企業への説明会も1年間で約30回実施。そうして母集団として数多くの求職者を集めることができ、40名以上もの採用を実現した。
1年間、日本全国を東奔西走し、さまざまな人に会った。求職者である重度身体障害者にも多く出会った。そのたび「このプロジェクトは絶対に成功させなければ」という覚悟が強くなっていった。

「パーソルダイバースの求人を見つけて、これしかない!という想いで応募した」
「事故で突然はたらけなくなった私にとって、この求人は希望の光に見えた」

そんな言葉をもらったからだ。そうして行動一つひとつを雇用につなげ、その雇用は障害者の希望になっていった。「人のため」にはたらき、生きている。その実感があった。

「重度身体障害者と認定され、仕事を辞めてました。それから、ずっと自宅で過ごすようになりました。職場の誰とも会わなくなり、会話も減りました。そうすると『自分は社会に存在していない』という想いにとらわれるようになったんです。なんとかしてまたはたらきたい。会社の一員として活躍したい。同僚と話したり笑ったりしたい。そんなことをずっと願いながら、どうすれば、何をすれば、かなえられるかが分からなかった。それがパーソルダイバースのおかげでやっとかなった。もう一度、社会で生きるチャンスをつかめたんです。ここからが私の新しい人生のステージです」
入社が決まったときにもらった言葉。このプロジェクトにかかわって、本当に良かったと思えた言葉だった。
はたらくことは、社会で生きること。そして、自分らしく生きること。
そんなはたらくことの意義を、改めて教えてもらえた言葉でもある。

今自分がしているのは、人と人が手を取り合い、新しい人生のステージに進めるようにする仕事。
そんな「幸せな瞬間」に立ち合う仕事だ。
人生がより良い方向に向かって歩み出す瞬間をつくる仕事。うれしさいっぱいの笑顔をつくる仕事でもある。

それがこれまでの何よりも、自分の心を躍らせている。

パーソルグループは、「“はたらくWell-being”創造カンパニー」として、2030年には「人の可能性を広げることで、100万人のより良い“はたらく機会”を創出する」ことを目指しています。
さまざまな事業・サービスを通じて、はたらく人々の多様なニーズに応え、可能性を広げることで、世界中の誰もが「はたらいて、笑おう。」を実感できる社会を創造します。

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