
パーソルグループでは年に1回、グループ内表彰「PERSOL Group Awards」を実施しています。
本連載「歩み続けるそれぞれのストーリー」は、2025年度「PERSOL Group Awards」を受賞した社員たちそれぞれが、どんな人生を歩んで成長し、受賞の栄誉を勝ち取るに至ったのか——。彼らの人生を形づくるバックボーンや、仕事への情熱、そして大切にしている想いが生まれたエピソードなど、これまでの歩みをストーリーでご紹介します。
プロフィール:
シェアフル株式会社 寺林 慎一郎(2004年入社)
受賞案件サマリ:
シェアフルはスキマ時間を利用してはたらきたい求職者と、急な欠勤などで人員不足に悩む飲食店などの雇用者をつなぐ2019年にローンチしたサービス。寺林は2024年度よりシェアフルに転籍し、外食大手グループにスキマバイト利用の最適化を提案。スキマバイトに対する逆風に打ち勝ち、顧客志向と率先垂範でチームを牽引し、シェア拡大と収益向上を実現し、アワードを獲得した。
最前線でボロボロになりながらも立ち向かっていく。そんなリーダーができるまで
「寺林さんって戦隊ヒーローの赤、まさにリーダーって感じ。寺林さんに声をかけられたら、みんな集まりますよ」
以前一緒にはたらいていた仲間が、そう言ってくれた。
「このクライアントの利用率が向上すれば、シェアフルのシェア拡大に勢いがつく」と、ずっとアプローチをかけていた超大手の飲食チェーンがある。新店舗のオープニングレセプションがあればシェアフルの経営陣を連れ出して参加したり、営業チームのメンバーとお店で飲み会をしたり、さまざまな方法で信頼を獲得しようと奔走していた。その一環として「年末年始の繁忙期、ぜひ近くにあるこのチェーンの店舗で忘年会や新年会をしてほしい」とシェアフル社内の各チームにはもちろん、シェアフルに異動する前に所属していたパーソルテンプスタッフ株式会社の仲間にも依頼のメールをした。依頼がギリギリになってしまい、申し訳なかったな、みんな行ってくれるかなと不安になっていたときに快諾の返事とともにかけられたのが冒頭で紹介した言葉。
「赤っぽい。まさに戦隊ヒーローの赤という感じ」
昔からちょくちょく言われることがあった。たしかに、社内ではゼネラルマネジャーとはいえ、営業のリーダーとして矢面に立ってバリバリ自分が動いて営業をかけている。陰口はもちろん、愚痴も言わないようにしている。「自分の営業成績より、お客さまの利益」と顧客志向を貫くようにしている。そんな営業スタイルを見て「戦隊ヒーローのリーダー」と言われているなら、悪い気はしない。
なぜなら、このスタイルは、自分がこれまで生きてきて大きな影響を受けたもの、そして大切にしようと思うもので、できているから。その中から三つ。二人の人と一つの挫折について話をしようと思う。

「自分のための仕事をしているうちは、誰も幸せにはできない。一人前になれない」
一人目は、父。
厳しい父だった。ずっと単身赴任で関東にいて、大阪の家に帰ってくるのは年末年始くらい。父と自分以外の家族はみんな女性だったこともあり「慎一郎、お前が家を守れ。お母さんたちを任せたぞ」と、幼少期から父に言われていた。そしてたまに帰ってくると、褒めるでもなく一緒に遊ぶでもなく、厳しく「人としての筋」について語られた。接点が少ないので、ちょっと怖いと思っていたほどだった。
そんな父と二人で暮らすことになった。社会人になって、自分も東京に住むことになったのだ。父は大手電機メーカーのIT系子会社の経営層にまで出世していた。現場から叩き上げでそこまで登りつめた父はすごいと思いつつ、「あの厳格さならさもありなん」と、ちょっと父との二人暮らしにビビっていた。ちゃんと会話できるのかな、またきついこと言われるのかな、と。
「いや、あれ母さんに言われてやってたんよ。オレだってさ、たまに家に帰るんだ、息子と楽しく過ごしたいやん。でも母さんが『たまにしか帰ってこないんだから、厳しく言ってやって』ってさ」
一気にハシゴを外された。母は、自分で言いにくいことを父に代弁してもらっていたらしい。笑ってしまった。苦笑いだが。でもそれで父との距離は一気に縮まり、そこから何度も飲みに行くようになった。社会人最初の3年間を一緒に過ごし、それまでの時間を取り返すようにいろんな話をした。
一番多かったのは、仕事の話だ。柔らかくなった父の表情も口調も、仕事の話になるとまたギュッと引き締まる。そしてこう話すのだ。
「ずっと目指してきたのは、誰も実現していない、世界一の仕事や。そのためにこれだけは絶対に譲れん、というのが『人を否定しない』こと。厳しく指導するのと、否定するのは違う。人を否定するヤツは愚者や。人には寄り添うもんや。そやから慎一郎、ええか、自分が楽しい方にとか、体裁が良い方にとか、そんなんはほんまにつまらん。口先だけ取り繕う、小手先でうまくやる、そんなん大嫌いや。そんなんはどうでもいい。そんなこと考えた時点で、失敗やぞ。お客さんとはたらく仲間と、家族。それをみんな幸せにする。それが仕事や」
一緒に酌み交わした酒とともにその言葉は心に染みて、ずっと残っている。

選ぶなら困難な方へ。自分は気付かなくても、その背中を誰かが見ている
次は、社会人のイロハを教え込んでくれた先輩たち。
2004年、新卒で入社したのは、パーソルキャリア株式会社(旧:株式会社インテリジェンス)。ベンチャー企業一大ブームの当時、トップクラスにゴリゴリのベンチャーの空気感をにじみ出していたのがインテリジェンスだった。その中でも「難しい業務を手がけている部署で自分を鍛えたい」と、後にパーソルビジネスプロセスデザイン株式会社となる部署を希望。できたばかりのその部署で、ITアウトソーシングの法人営業を担当した。
ITアウトソーシングは決まれば額が大きい。そのかわり、簡単には決まらない。
来る日も来る日も、知識&経験ゼロの頭をひねりにひねって提案書を書いては、先輩たちにぼろかすに言われてボツを食らうの繰り返し。それでも「新卒のぺーぺーの提案が、大手企業の部長や役員クラスに認められて、契約が獲れたらかっこいい」と必死で食らいついていた。
作業も効率が悪くて時間もかかっていたけど、先輩たちは愛のムチでスキルもマインドも鍛えてくれた。どんなに時間がかかっても、提案書が完成するまで待っていてくれて、書き上げると「まずはよくがんばった」と肩を叩いてくれた。それがあるから、どんなダメ出しを食らってもがんばれた。
その先輩たちは、バリバリのビジネスリーダー。スキルもマインドも、業績もすごい人たちだった。そんな先輩たちに言われた
「営業は話す仕事じゃない。話を引き出す仕事だ。商談の時間の8割はお客さまに話をしてもらえ」
「短期で合理を追うと、長期で不合理になる」
といったアドバイスは、今も自分の中で生きている。中でも自分の指針になったのは
「寺林、キャリアで悩んだら、しんどくて成果が出ない方へ行け。みんながやりたくない仕事を選ぶヤツには、がんばるほど人がついてくる。人は得がたい資産だ。悩んだら、しんどい方へ行け」
という言葉だ。この言葉は、今も心臓のように、自分の中でアクティブに動き続けている。だから、これまでどんな辞令も、いっさい断らなかった。大変な仕事ほど、前のめりで受けてきた。そのときの原動力となったのは、熱く自分を動かし続ける、先輩のこの言葉だ。
そんな自分がキャリアに悩んだのは、パーソルテンプスタッフで部長を任されていたとき。40歳が目前に迫っていた。社会人人生の折り返しとも言える年齢だ。これまでは茨の道を走り続けてきた。じゃあ、これからの後半は?
「どこへ向かえばいいのか」「まだ走れるのか」
そんなことを考えては久方ぶりに先輩たちを訪ねては飲み、相談するでもなくぽつぽつと話すことが増えていった。
そんな中、辞令が下された。異動先はシェアフル。ベンチャー的に社内で立ち上がった新事業だ。「これまでの営業の経験を活かし、シェアフルを圧倒的に成長させよ。そのための戦略的な異動だと心得よ」と異動の理由を上司から説明された。背筋がすっと伸びた。奥歯を噛みしめ、ぎゅっと唇に力を入れた後、「任せてください」と答えた。新天地には、かつての先輩たちの姿も。後日、先輩は笑い、肩を叩いてこう言った。
「おう、任せた。寺林、また思いっきり、走れ。しんどい。でもその分、面白いぞ」

何よりも「顧客の利益」を重視するきっかけとなった、人生最大の挫折
最後は挫折の話。
パーソルテンプスタッフに異動する前に、社長を任され、子会社をつくって、潰した。
本当につらかった。今も思い出すだけで心臓がバクバクする。でも、後悔はしていない。その早まる脈でむしろテンションを高める。挫折を、成長するための養分にする。
2年、赤字だった。毎日毎日PLで損益を眺め、改善に向けて奔走した。増資も受け、3年目にやっと黒字化したとき、仲間と抱き合って喜んだ。
ただ、社会人10年にもならない自分の経験では、数百億円規模までの成長が描けなかった。結果、会社は吸収・合併され、解散した。
この挫折のおかげで、経営者の苦しみを知ることができた。経営を担う者にとって、PLは“カラダ”だ。利益があれば元気になれるし、損失は血を流しているのと同じ。そんな日々に耐えているのが経営者だ。自分たちが営業をかけている、その対象のほとんどは、そんな経営者。社長、役員、人事担当者、店長、社員のみんな。
だから、利益にならない提案はしない。話をじっくりと聞き、時には売り込みをしないときもある。市場を調査し、トレンドも調べ、情報を提供するだけで商談を終えることもある。
「今年の夏はしんどかったですね。これが落ち着いたら、提案させてください」
と笑顔で後にすることも多い。人との付き合いは、基本的にはGIVEで終わる。それがずっと後から返ってくると信じて。
今シェアフルでチームのメンバーにもこの話をしている。シェアフルは業界1位を追うベンチャーであり、チャレンジャーでもある。利益は大切だし、成長も重要。だからといって、クライアントの利益にならない仕事をしていては、未来はない。1位になって振り返ったとき、誰も着いてきていないことだってあり得る。そんな虚しい王座には座りたくない。
だから、お客さまの立場に立ち、お客さまの利益を追求する。それをシェアフルのカルチャーにしたい。そしてそれは、いつか1位を奪取したとき、王者としての品格になるはずだ。

社会人になって20年、けっして孤独なリーダーではなかった
実際のところ、走り続け、立ち向かい続け、しんどい方を選び続けた。本当にしんどかった。
でも、その勇気や覚悟、がんばりを見てくれている人がいるというのを、40歳になって実感している。
「寺林さんのことを思い出して。お願いしたいことがあるんです」と連絡をくれる、かつてのお客さまがいる。
「寺林さんに声をかけられたら、そりゃあ集まっちゃいますよ」と笑ってクライアントのお店に行ってくれる、かつての仲間がいる。
「シェアフル、大きくしましょう!」といっしょに走ってくれるチームのみんながいる。
そんなチームのメンバーと力を合わせ、2024年の年末、全力疾走した。飲食チェーンのお客さまの経営に、シェアフルで少しでも貢献しようと。
お客さまのプラスになれば、と忘年会や歓送迎会で利用してほしいと声をかけたのは、かつてのテンプスタッフの仲間。突然の異動でいなくなった自分を、送り出してくれたときと同じ笑顔で快く応えてくれた。おかげでお客さまの店が、これまで自分が出会った仲間で埋まった日もあった。
厳しい夏の日に営業をかけるでもなく話を聞くだけだったお店の店長から、「寺林さんの紹介だというお客さんがたくさん来てくれて。シェアフル、使いました。また相談乗ってくださいよ」と連絡があった。
そうしてこのチェーンのお客さまへのシェアフルの実績が伸び、アワードにも選ばれた。
今改めて、自分の資産である出会ったたくさんの人に感謝している。
戦隊ヒーローの赤、と言われて悪い気がしない理由がもう一つある。
赤はたしかにリーダーだけど、一人では必殺技が使えない。チームのみんなが力を合わせてはじめて、すごい実力を発揮できる。
自分も、父と先輩に鍛えられ、そして仲間に支えられて今がある。そのたくさんの人のおかげでリーダーをやらせてもらえているのだ、と感謝の気持ちが湧いてくる。
みんなと一緒だ。だから、自分は最強のパワーを発揮できるのだ。

パーソルグループは、「“はたらくWell-being”創造カンパニー」として、2030年には「人の可能性を広げることで、100万人のより良い“はたらく機会”を創出する」ことを目指しています。
さまざまな事業・サービスを通じて、はたらく人々の多様なニーズに応え、可能性を広げることで、世界中の誰もが「はたらいて、笑おう。」を実感できる社会を創造します。





