営業のマネジャーとして、がん治療と仕事を両立。会社とチームへの感謝を胸に駆け回る日々―わたしとDEI(7)安藤 舞―

パーソルグループは、すべてのはたらく人たちが「はたらいて、笑おう。」を実感できる社会の実現を目指し、DEI(Diversity, Equity & Inclusion)を推進しています。
本連載では、生まれた場所や育った環境、年齢、性別、経験、価値観などの違いを可能性と捉え、多様なキャリアを歩む社員を紹介します。
第7回目はパーソルビジネスプロセスデザイン株式会社の安藤 舞です。

安藤は、2023年の春、がんを患いました。マネジャーに就いて2年目のことでした。それからの1年は、2度の入院手術と、つらい抗がん剤治療が待っていました。

その期間、所属するパーソルビジネスプロセスデザイン ビジネスエンジニア事業部 エネルギービジネス統括部 営業グループの協力を得て、フルリモート勤務にシフト。無事に回復した現在は、関西支社と中部支社での営業も兼務して、出張に飛び回っています。

「営業の管理職でフルリモート?と感じる人もいると思うんですけれど、会社からは調整できるならばいいよと言ってもらって、メンバーたちも協力してくれました。将来のことを考えたら不安になるし、仕事を休んで時間があると良くない方向に考えてしまうから、周囲の理解を得て仕事を続けられて良かったです」

安藤の部署はクライアントのもとを訪ねての営業が基本のため、「プレイヤーのままだったら、フルリモートは難しかったのかもしれません」と振り返ります。実は、2017年に入社以来、安藤は管理職になることを拒否し、「ずっとプレイヤーでいたい」と上司に訴えていました。

なぜマネジャーへの昇進を受け入れ、今はどういう想いではたらいているのでしょうか?

目次

音学科から一般企業の営業職に

岐阜県安八郡出身の安藤は高校、大学と音学科出身で、パイプオルガンを専攻していました。いずれはヨーロッパに留学し、そのまま現地で暮らしたいという夢を抱いていたそうです。しかし、大学院に進んだころから修士論文の執筆の方が多忙になり、夢への熱も落ち着き、「普通の企業に就職しよう」と気持ちを切り替えました。

学生時代、パイプオルガンを演奏する安藤

ジャンルを問わずいくつかの企業の採用試験を受ける中で、大手のBPO企業に入社。中部エリアで、製造業向けのアウトソーシングを開拓する営業部に配属されました。たとえば、3DCADで設計、実験、解析を求める企業の業務を請け負うのが仕事です。

「専門用語が、外国語のように分からなかったんです。それを一つひとつ調べて、意味を理解していくのは、本当に大変でした」

仕事は猛烈に忙しかったと言います。それでも安藤は、「社会人ってこんなもんなのかな」と受け入れ、必死に食らいつきました。そうして仕事に慣れてきた4年目ごろから、転職を考えるように。もともと好奇心旺盛で、「いろいろ経験をしてみたいタイプ」の安藤は、求人サイトでたまたま超大手エンターテインメント企業の日本支社の募集を見つけて、「この企業のブランド名でビジネスするって面白そう」と思い応募したところ、営業として採用されました。
詳しい仕事内容は伏せますが、外資系らしく評価基準は明確で、成績に応じてインセンティブが支払われます。常に上位につけていた安藤は、この企業ではたらくことが「楽しかった」といいます。

しかし、この事業はもともと日本から撤退することが決まっており、安藤が入社する際に、期日が来たら事業部も解散すると伝えられていました。そのため、解散後に再び転職活動を始めました。

ひとり営業で仕事を開拓

複数の企業を巡り、「自分の経歴と親和性が高く、とんとん拍子で決まった」のが、パーソルビジネスプロセスデザイン。入社の決め手は、2次面接のときに「この人のもとではたらきたい」と思える出会いがあったことです。

「エネルギービジネス統括部の立ち上げのころから携わっていた方です。当時、営業のマネジャーをしていて、面接時の質問のポイントや私の回答への打ち返しを聞いて、そう感じました。この人のもとでもう一度BtoBの営業として力をつけたいなと思いました」

2017年2月に入社した安藤は、エネルギービジネス統括部のアウトソーシング営業に配属されました。ところが、体制変更や担当者の退職が重なり、安藤は“一人営業部”として春を迎えることになります。

アウトソーシングの営業は、人材業界の中でも難易度が高いと言われます。クライアントの事業を理解するのはもちろん、各部署でどんな仕事をしているのかも把握し、担当者のミッションや抱えている課題を引き出した上で、「うちなら、こういうことができます」と提案しなくてはなりません。一つの決まった商品を売る営業と違い、「クライアントの話を理解する知識、フリートークの力、自社の事業と結びつける発想力、思考の展開力」が必要だと言います。

一人営業になって心もとなさを感じたものの、アウトソーシングの営業をしていた1社目の経験を活かして、やるべきことをやるしかありません。上司も他部署と兼任で多忙にしていたため、安藤は既存のクライアントを訪ねたり、関連する展示会に足を運んで名刺交換をしたりして、一人で地道に営業を始めました。孤独な環境で追い風になったのは、クライアントから仕事を請け負う同部署の運用メンバーが優秀だったこと。BPOというビジネスは、営業が案件を獲得してきたあと、基本的に運用を担当する社員がクライアント先に常駐して業務の一部を受託するという流れになっています。

「私が受注して、クライアントのところへ運用メンバー何人かに行ってもらいますよね。そうすると、彼らが活躍してくれるんですよ。それがクライアントの担当者に評価されて、新しい案件の相談やほかの部署への紹介につながりました。すごくありがたかったですね」

プレイヤーからマネジャーへ

一人営業の仕事は、目標を立て、その目標を達成するための計画をまとめ、進捗を報告し、成果をまとめることも含まれます。必要に迫られてやっていたそれらの仕事は、本来、管理職が担うものでした。

営業としての実力に加え、管理職として欠かせない経験やスキルも身につけていた安藤を、上司も高く評価していたのでしょう。安藤自身の成長目標を定める際、いつしか「管理職になる」と書いてはどうかとすすめられるようになりました。しかし管理職になると、商談で顧客と会話する機会が減ってしまうため安藤は毎回その目標を拒否し、「ずっと最前線のプレイヤーでいたい」と主張し続けたそうです。

そのやり取りが続いていた2020年12月、営業に入社2年目の後輩が入ってきました。安藤は同じ立場の「メンバー」ながら、先輩として一から指導することを求められます。これは、1社目で経験した単なる後輩育成ではなく、初めて経験するマネジメントの仕事でした。

「アウトソーシングの営業が難しいことと、専任の上司がいないという環境だったので、きちんと見てあげようと思いました。暇にならないように気にかけたり、何か相談されたら自分の手を止めて話を聞くことを意識しました」

その仕事ぶりを見守ってきた上司から、「下期からマネジャーとして活躍してほしい」と告げられたのは、2021年9月。予想外の展開に、はじめこそ躊躇する気持ちがあったそうですが、そろそろ潮時だと感じていたこともあり、受け入れました。

こうしてマネジャーに就任した安藤は、腹をくくって管理職としての役割に挑みます。まず、それまで培ってきた営業のノウハウをまとめた資料を作成し、メンバーに共有。この資料は他部署でも好評を得て、現在、社内のある部門の新任マネジャー研修で使用されています。

普段の業務でも、「裏方に徹するところと、管理職として前に出ていかなきゃいけないところをきちんと見極めること」を意識するようになったそう。

「社内のミーティングにしても、クライアントへの提案内容を考えるにしても、営業するにしても、裏側でサポートしつつ、この人(メンバー)が担当ですということを周知して印象付けることを考えています。自分が前に出ていくのは、謝罪をするか、決断が必要な場面です」

がん治療と仕事を両立するために

プレイヤーとして最前線で営業することがなくなっても、メンバー時代と変わらず続けていることもあります。クライアント訪問です。それは、「お客さまの生の声を聞くこと」が、管理職として戦略を立てる上でも不可欠だから。営業としての感覚を鈍らせないために、現場の空気を感じることも必要なのでしょう。目下の悩みは、部下との接し方。どう指導したらいいのか、模索が続きます。

「当社は、本人の意思を聞いてなるべく希望に沿うような形にするという文化があると思います。一方で成果に対してある程度の厳しさがないと成長できない部分もあるので、どこまで厳しく接していいのか、どこまで踏み込むのか……。合わなさそうなことを一生懸命やるより、その人の特徴に合った営業スタイルを伸ばした方がいいと思うので、様子を見ながらやっています」

管理職について丸3年が過ぎ、見えてきたこともあります。また、メンバー時代に指導した当時入社2年目の若手は、その後の2年で驚くほど成長しました。その若手は本人の希望で異動しましたが、後任として中途入社で入ってきた中堅メンバーも、2年で大きく伸びました。2人の変化から、現在は「育成は2年かかる」という前提で、ほかのメンバーの指導や採用計画を進めているそうです。

管理職として部下の成長に喜びを見出すようになった2023年の春にがんが判明。冒頭に記したように、それからの1年は、闘病と仕事の両立を迫られます。同年5月に入院して手術を受け、9月から抗がん剤治療を開始。2024年2月にもう一度手術があり、出社してはたらけるようになったのは、4月ごろからでした。この間も無理をしない範囲で、仕事を続けました。

がん闘病中に撮影した写真。「抗がん剤治療がとにかくつらくて、死ぬことは怖いし、死にたくないけど、こんなにお金かけて苦しい思いをしてまで、なんのために生きたいんだろうとぐるぐる考えていました」と当時の気持ちを話してくれました

「高校生の時からある症状があり、今は問題ないが将来がんになる可能性があるとのことで、半年もしくは1年に一度、検査を受けていました。それで早期発見ができたのですが、入院や手術が続くとやっぱり不安になります。それで上司には今まで通り変わらない生活を送ることが精神の安定になると話をして、フルリモートでのフレックス勤務を最大限活用させてもらいました」

がんが分かった当時、安藤は病名を明らかにはせず、病気であることや治療が必要なことのみを上司やメンバーに説明しました。「当時はまだどうなるか分からなかったことと、過剰に気をつかわれることも本意ではなかったので詳細は話していなかった」そうですが、それでも「できることはないか?なんでも言って」と寄り添ってもらえ、周囲の理解の元、業務を継続できました。事情に応じてさまざまなはたらき方を選べる会社の制度と、上司やメンバーの柔軟な対応に恵まれ、「感謝しています」と語ります。

すっかり回復して復帰した今は、東京にいる4人の部下に加えて、関西支社にいる6人のマネジメントも担います。加えて、立ち上がったばかりの中部支社では、一人営業を始めました。

関西と中部への出張を重ねながら、これまでより長期スパンで、もっと上流に携わる仕事ができないかと戦略を練る日々。病から復活した営業のプロフェッショナルは、まだまだ進化します。

パーソルビジネスプロセスデザイン ビジネスエンジニアリング事業本部 エネルギービジネス統括部のメンバーとともに(安藤は一番手前)

<プロフィール>
安藤 舞(あんどう まい)
パーソルビジネスプロセスデザイン株式会社 ビジネスエンジニアリング事業本部 エネルギービジネス第1統括部 エネルギービジネス統括戦略1部 営業グループ マネジャー
大学院卒業後、2009年に大手BPO企業に入社。中部エリアでの製造業向けアウトソーシング営業を経て東京本社に転勤。関東圏でも同じく製造業向けの営業を担当。2014年に大手外資系エンターテインメント企業に入社し、タイムシェア販売の営業を担当。2017年に現在のパーソルビジネスプロセスデザイン株式会社に入社し、エネルギー事業に特化したサービス部門にて営業を担当。大手電力会社の拡大深耕や、新規企業の開拓に従事し、2021年にマネジャーに就任。現在は関東/関西の営業グループのマネジメントに加え、中部エリア開拓に従事している。

パーソルグループは、「“はたらくWell-being”創造カンパニー」として、2030年には「人の可能性を広げることで、100万人のより良い“はたらく機会”を創出する」ことを目指しています。
さまざまな事業・サービスを通じて、はたらく人々の多様なニーズに応え、可能性を広げることで、世界中の誰もが「はたらいて、笑おう。」を実感できる社会を創造します。

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