最年少29歳で課長に昇進。6年の現場経験を活かして目指す「はたらくかっこいい女性」―わたしとDEI(2)久縁 依結―

パーソルグループは、すべてのはたらく人たちが「はたらいて、笑おう。」を実感できる社会の実現を目指し、DEI(Diversity, Equity & Inclusion)を推進しています。
本連載では、生まれた場所や育った環境、年齢、性別、経験、価値観などの違いを可能性と捉え、多様なキャリアを歩む社員を紹介します。
第2回目はパーソルワークスデザイン株式会社の久縁 依結(グエン・ニュ)です。パーソルワークスデザイン内、最年少の29歳で課長に昇進しました。

「管理職になって今年で3年目になります。1年目の時からかかわっているメンバーがステップアップしていく中で、発言や行動が変わったなと感じる瞬間があるんです。変わったきっかけとして、自分とのかかわりがあったということを後日、本人たちから聞く機会があり、すごくうれしかったんですよね。1,000万円単位で売り上げを伸ばすような、一人では絶対に成し遂げられない成果をチームで出すことができたときにも、やりがいを感じます」

2016年春、現在のパーソルワークスデザインの前身ハウコムに入社し、2022年4月、29歳の時から課長を務める久縁。

冒頭の言葉は「今の仕事の魅力は?」という質問への答えです。「もともと安定志向で、公務員を目指していました」と語る久縁は今、パーソルワークスデザインの佐世保第1アウトソーシングセンターで約40人のチームを率いています。

公務員ではなく、パーソルワークスデザインを活躍の場に選んだ久縁は、これまでどんな想いではたらいてきたのでしょうか?その歩みを振り返ります。

目次

公務員志望だった女子大生の人生を変えた出会い

ベトナム出身で宮崎県西都市に定住した久縁の両親は、11人の子どもに恵まれました。1993年、10番目に生まれた久縁にとっては、西都市が地元です。

「両親はベトナム出身ではあるのですが、私はずっと日本の学校に通っていたので、日本語の方が得意です。ベトナム語はほとんどしゃべれないんですよ」

兄弟姉妹に囲まれた幼少期。久縁が1歳の誕生日を迎えたときの写真だそうです。

小学生のころから負けず嫌いで勉強が苦ではなかったので、学生時代は上位の成績をキープ。進学を考えた時、大家族を必死で養ってくれた両親を見ていたこともあり、安定した仕事に就くことを前提に大学を選びました。

「最初は、公務員を目指そうと考えていました。それで、公務員への就職実績の多い、宮崎県の大学に進みました」

公務員になるためには日本国籍が必要になるため、大学3年生の時に帰化の準備をスタート。就職活動の時期になると、県庁や市役所と並行して民間企業の説明会にも足を運び、そこで、忘れられない出会いがありました。

「当時のハウコムの社長の平林 由義さんと、新入社員の育成担当だった方と話をする機会がありました。その時、人とのつながりを大切にしているというお話をしていたり、学生を尊重したコミュニケーションをとっていたりする姿を見て、私もこの会社ではたらくことで、同じような振る舞いや接し方ができるようになるのかな、なりたいなと思ったんです」

1996年創業のハウコムは、ヘルプデスクやコールセンターを外注したい企業から委託を受けて業績を伸ばし、宮崎市にも拠点を構えていました。

面接を重ねるごとに平林とその女性社員に惹かれた久縁は、「安定しているかどうかではなく、自分がそこではたらいているイメージがつくかどうか」で就職先を決めました。

「お二人がすごく仕事を楽しんでいるなって伝わってきて、魅力を感じたんです。特に育成担当の女性の方は『はたらくかっこいい女性』という印象が最初からあって、私もしっかり成果を残すようなはたらき方をしたいと思っていたので、すぐに憧れの対象になりました。」

一本目の電話を受ける役に抜擢

2016年春、入社。2カ月の研修を経て、クレジットカード会社からの委託を受けてこれから新たに開設されるコールセンターに配属されました。そこは、クレジットカードの盗難、紛失に伴うカード停止やその後の手続きの受付を行っていた窓口。最初はマニュアルの確認など、サービス開始までの準備が仕事でした。

24時間365日のサポートで、スタッフは当時約25人。ついにサービス開始という7月、一本目の電話を受ける役に抜擢されたのが、久縁でした。

先輩や管理職に囲まれながら、コールを待ちます。電話対応の経験もなく、人に見られながらの対応をしないといけないということもあり、久縁の手は震えていました。
電話が鳴り、瞬時に反応します。その問い合わせは、マニュアルや研修で学んだ内容とは少し違うイレギュラーなものでしたが、久縁は上司のサポートを受けながら、無事に対応を終えました。それは、日ごろの個人トレーニングの成果でもありました。

「その時は、西都市の実家から宮崎市のオフィスまで車で通っていました。朝の時間は混んでいて1時間くらいかかるので、その間、一人で電話対応の流れを復唱していました。窓口がオープンした時にはトークスクリプトのほとんどを覚えていたので、電話対応への抵抗はなかったですね」

初日以降も、さまざまな問い合わせに対応しました。もちろん、失敗することもありましたが、久縁は前向きに仕事に取り組みます。

「コールに関する評価制度があって、3カ月に1回評価を受けます。リーダーと一緒に振り返りをして、課題があれば常に意識できるように、デスクに付箋を貼ったり、意識的に寄り添いの言葉を組み込んだ対応ができるようにスクリプトを見直したりしました。2018年に開催された『みやざきコールセンターコンテスト』という市内のIT企業内における電話対応の品質を競うコンテストで会社代表に選抜され、10社中2位を獲得することができたのは、1つの成果としても感じられた良い思い出です」

サービスマネジャー就任から1年半で課長に昇進

サービスマネジャーにアサインされたのは、入社から5年半が過ぎた2020年の秋。直接的な電話業務から離れ、複数窓口における業務の課題改善、改善に向けての法人顧客との交渉、メンバーのフォローなどをメインで担当するようになりました。それは、久縁にとって、新たなやりがいのある挑戦でした。

「サービスマネジャーは、役職としては管理職ではないものの、プロジェクト全体を管理する役割を担います。メンバーに対しては、どうすればみんながはたらきやすくなり、業務をうまく回せるような指示ができるのかを考えながら、チームとして成果を出すことがすごく難しかったですね。法人のお客さまとの交渉に関しては、コールセンターの品質を保ち、向上させるための改善策を講じるにあたり、お客さまへどういう説明の仕方をすればうまく伝わるのか、いつも悩んでいました」

突破口になったのは、コミュニケーション。業務上の分からないこと、気になること、少しでも不安に感じたところは、できる限りメンバーに尋ね、現場の要望にも耳を傾けました。法人顧客との交渉で難しく感じることがあれば、すぐに上長に相談しました。こうして垣根をつくらず会話を重ね、サービスマネジャーとして必要な情報をキャッチし、自身の役割としてすべきことを学んでいきました。

その姿勢が評価されたのでしょう。サービスマネジャーに就いてわずか1年半後の2022年4月、課長に昇進。29歳での課長昇進は最年少だったそうです。上司から話を聞いた時、「ぜひチャレンジしたい!」と思ったと言います。そこには、サービスマネジャーになってから自身の視野の広がりや成長を感じていたことに加えて、尊敬できる上長たちの存在がありました。

「入社した時に私が理想としていた育成担当者の方、入社してから現場でフォローしていただいた管理職の方々も、それぞれ尊敬できる考え方や仕事をされていました。たとえば、その場では嫌われてしまうような指導をしたとしても、その人のためを思ったコミュニケーションをしている姿を見た時や、仕事そのものを楽しんでいる考え方に触れて、大きな影響を受けました。一つの理想像ではなく、皆さんの良いところを吸収できたらいいなと思いました」

昇進し、一つひとつの判断、決済の責任が増す中で、管理職として求められる基礎的な能力、姿勢を学ぶ機会になったのが、新任管理者研修。これはパーソルグループ全体で行われているもので、1年間にわたり、定期的に開催されています。

「それまで社内の同業種の方々との接点しかなく、グループ会社間でのかかわりはほとんどありませんでした。同グループとはいえ、業種がまったく違うチームのマネジメントを担当されている方々もいる中で、考え方や人との接し方などに違いがあって、すごく刺激になりましたね。管理職としての基礎や考え方を学ぶ上で、非常に貴重な機会だったと思います」

異動先の佐世保で直面した課題と成果

課長としての初年度を終え、2年目となる2023年春、久縁は長崎県佐世保市の佐世保第1アウトソーシングセンターに異動になりました。着任してみると、佐世保ならではの課題も見つかりました。構築してまだ日も浅い窓口が多いこともあり、各窓口を取りまとめているリーダーも十分に経験を積む期間がないまま着任するケースもあったそう。

「リーダーの方々には、自分のキャパシティ以上のことに対して試行錯誤しながら頑張っていただくことも多く、私自身も今まで以上に現場に入り込み、リーダーのフォローを行うことが増えました。スタッフの方々への指導で常に意識したことは、指示を受けた人がどう動けばいいか悩まないようなコミュニケーションの仕方です。特に、法人のお客さまとも関わりを持つことになるリーダー以上の人たちには、もっとこうした方が分かりやすいよ、認識齟齬が起きないよ、相手も動きやすいよ、という話を本当に細かくしてきました。1年経って、『報連相』の仕方も、考え方も変わってきていると感じますね」

サービスマネジャー時代は悩みの種だった、費用面が絡んだ法人顧客との交渉についても、経験を積む中で考え方が変わってきました。
法人顧客への提案事項を考えるときには、まず「ユーザさまへのメリット」を前提に、改善検討や提案事項を考えることが大切だと考えるようにしました。それ以来、費用負担が大きくなることに対しての後ろめたさはなくなったと言います。
中長期的に見たときにユーザさまにとってのメリットを感じていただける運用体制を確立することで、結果的には法人顧客にも還元されると実感しているからです。

佐世保センターの写真(真ん中が久縁)

管理職に就いて成長を実感

課長になって3年目、ポジティブなことばかりではなく、大きな役割の一つであるサービスマネジャーの育成は、試行錯誤が続いています。
「サービスマネジャーは次期管理職候補にもなりえる役割だと皆さんには見えているだろうし、実際これまでもそういったパターンが多いんです。だから急に責任が大きくなる、業務量が増えるという印象が強いため、サービスマネジャーになりたいと思う人ばかりではないのかなと感じてます。その中で、誰を育てていくのかという見極めもそうですし、この人と定めたとしても、本人の成長を考えたときに何をどこまで伝えるのか、正解がなく、難しいですね」

管理職は決して楽な仕事ではありません。それでも久縁は「管理職にチャレンジして良かった」と笑顔を見せました。

「組織と現場の間に入ることでの苦労や葛藤を感じることもあります。でも、まず一番分かりやすい評価であり、生活に欠かせない給料がアップしていることがうれしいです。また、管理職になって社内外で役職者の方々と接することも増えていて、そこでまた新たな考え方に触れるような機会が増えてきたことで、自分のキャパシティが大きくなっている感覚もあります。これからも誰かの成長につながるような仕事にどんどんチャレンジしていきたいですね」

プロフィール
久縁 依結(グエン・ニュ)
パーソルワークスデザイン株式会社 サービスデザイン本部 CSソリューション2部 3課 課長
宮崎県西都市出身。大学卒業後、株式会社ハウコム(現パーソルワークスデザイン株式会社)へ入社。約5年半のコール窓口経験を経て、複数プロジェクトのサービスマネジャーとして就任。入社から7年目に管理職として着任、2年目から佐世保へ転勤し今に至る。

パーソルグループは、「“はたらくWell-being”創造カンパニー」として、2030年には「人の可能性を広げることで、100万人のより良い“はたらく機会”を創出する」ことを目指しています。
さまざまな事業・サービスを通じて、はたらく人々の多様なニーズに応え、可能性を広げることで、世界中の誰もが「はたらいて、笑おう。」を実感できる社会を創造します。

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