社長和田の人生行路【2】~圧倒的成長と慢心、クビを覚悟するほどの失態の末に~

パーソルホールディングス株式会社の代表取締役社長 CEOの和田 孝雄は、2021年4月に代表に就任して2年になります。コロナ禍で社長のバトンを受け取り、難しい経営判断を迫られることもありながら、昨年の11月には節目となる還暦を迎えました。そしてこの5月にはいよいよ、社長として初めて新中期経営計画を発表します。これまで和田が人生の中で直面してきた社会課題や、ときに理不尽にも感じた挫折。大きな発表を前に、今改めて自身のビジネス人生を振り返り、未来に向けて決意を新たにしています。そんな和田の人生を、和田の言葉で語ります。(全3回)
第二回は、和田がパーソル入社当初の成功と挫折の話です。

目次

入社早々に結果を残して昇進

1991年に入社したパーソルテンプスタッフ(旧テンプスタッフ)は、チャンスを与えてくれる職場でした。9月に入社して、翌年の4月にはマネジャーになり、その半年後の10月には部長に昇進。当時の部長は今でいう事業本部長で、入社から1年で大きな予算と権限を与えてもらいました。
早くに機会をもらえたのは理由がありまして。私が28歳で入社した当時、パーソルテンプスタッフの営業メンバーは私より年下の人ばかりでした。たとえば経験を積んでいるからこそ適切なクレーム対応ができたり。私は倒産を含めてほかの若いメンバーよりいろいろな修羅場を経験してきていたので、難しい顧客対応をできたことは大きかったのではないでしょうか。

営業に関しても、ベンチャー出身だから「営業は数をこなすことも大事」と知っていたし、中途入社だからこそ結果を出さなきゃと思っていたから、とにかくひたすら顧客開拓をしていました。もう一つ、当時は派遣スタッフの方は女性が多く、よく話を聞いて、不安に感じているところを気遣ってあげることで、彼女たちも安心して頑張ってはたらくことができる。こういった点を意識してはたらいていたのが評価されたのだと思います。

「絶対やめたほうがいい」と言われた部長職

私が初めて部長に就いたのは、エンジニアや、IT関連のユーザーサポートなどテクノロジーの技術者を派遣する部署でした。当時その部署でマネジャーをしていましたが、もともと部長だった人が異動になり、ポジションが空いたのです。

その部署は個性的なマネジャーが集まっていたので、昇格の話があった時、部下からは「この部署はマネジメントが大変だから絶対やめたほうがいい」と言われたのですが、「こういうチャンスは、やってみなきゃわかんないから」と受けることにしました。
ちなみにそのころ、社内ではまだテクノロジー関連事業への関心が低くて、経営陣もそこまで力を入れていなかったのです。だから、中途入社したばかりの私に任せてもらえたのかもしれないですね。
でも実際は、Windowsが日本でも使われるようになり始めた時期。テクノロジー系の派遣のニーズは急上昇し、売り上げがどんどん伸びました。

このチームを率いているうちに、当初「人材ビジネスは元手をかけずに儲けられる」と思っていた自分が勘違いしていたことに気付きました。当時は広告出稿にお金をかけたらかけただけ、リターンがありました。テクノロジー系の転職雑誌に見開き240万円の広告を出して20人集まれば御の字で、それを繰り返すことで業績が伸びていました。そのころ、事業部の粗利が10億円未満なのに、約1億円の広告費を使わせてほしいと言って、「1億円がどれだけのものか、ここに並べて見せなきゃわかんないか?」と怒られたこともあります(笑)。売上・利益に対してのマーケティング投資の適正価格を模索していた時期でしたね。

当初は起業を考えていましたが、この商売で勝ち続けるには人材を集めるための資金力が絶対的に重要だと確信しました。私にそんな資金はありません。起業するのはやめて、いずれこの会社を分社化してそのトップになろうと、路線変更することにしました。

左:1990代後半の新宿オフィスでの表彰の様子。右:香港オフィスを訪問した際の一枚

クビを覚悟したあの日

部長をしていた時の目標は「2000年に役員になり、2005年には分社化して社長に就く」でした。実際には、2000年に不本意な異動となりました。

その数年前、私が主導してA社と組んでWindows上のアプリケーションのユーザーサポートを手がける合弁会社を設立することになりました。同時進行で別のB社と、ネットワークエンジニアを自社で育成し、派遣する特定派遣のプロジェクトを立ち上げました。この特定派遣のプロジェクトが新聞に掲載されたところ、A社から突然、「うちが敵対する会社と二股をかけるのか、我々と組むのかB社と組むのか、判断してほしい」という連絡が届いたのです。私にとっては寝耳に水の話でした。この二つの事業そのものは競合しないので、まさかA社からそんな反応があるとは思っていなかったのです。

A社との取引を開始したのは私で、当時、社内でも非常に高い売り上げとなる取引がありました。B社とのプロジェクトにはすでに数千万ほど投資していたのに、泣く泣くA社との関係を優先し、B社とのプロジェクトは中断することにしました。ところがA社の怒りは収まらず、合弁会社の話もなくなってしまったのです。

それだけではありません。B社もプロジェクトのために大規模な設備投資をしていた上に、もともと取引があったA社からも取引停止となってしまい、「うちはもう、もちません……」と言われてしまいました。私は倒産した会社がどうなるか知っているし、お世話になっている人たちもたくさんいたので、自分のせいで一つの会社が潰れることになるかもしれないと、怖さと申し訳なさでいっぱいでした。

結果的に、追加の金銭的支援をすることでB社の倒産は避けられたのですが、社内的には二つの事業をダメにするという大きなミスです。クビも覚悟した私を救ってくれたのは、篠原さん(創業者)の一言でした。「自分の利益のためにやったんじゃないんでしょ。事業を伸ばそうとしてやったんでしょ。二度とやっちゃダメなミスだけど、一度目はいいわよ」と言ってくれました。

この“事件”で、私は「先を読んだリスクヘッジ」の重要性を学びました。当時、私はA社とB社は競合していないと思い込んでいたのですが、もし事前に両社に一言告げていれば、まったく違う展開になったかもしれない。この一件以来、常にどんな状況が想定されるかのリスクヘッジするようになりました。

日々心に留まったことなどをしたためている。ゴールデンレトリバーとミニウサギを飼っているので、手帳にもシールを

想定外の異動から奮起

実は異動の原因は、このミスではありません。A社との合弁会社がなくなり、自社でWindowsのユーザーサポートに関する派遣事業を始めたのですが、それは非常にうまくいきました。

私は「クビにならなかったんだから、その分、挽回しなきゃ」と猛烈にはたらきましたし、テクノロジーの導入が加速していた社会背景もあって、担当部署は引き続き好調でした。それで鼻高々になり、ブイブイいわせていたころに、経営陣から「成長スピードが遅い」と指摘されました。加えて「おまえは、ショートケーキのイチゴばかりを取るような仕事をしている」と。要は簡単においしいところだけ取ってばかりと言われ、部長を別の人に任せたいからと、神奈川営業部へ転勤することになりました。経営陣には私の慢心が見えていたのでしょう。

2000年には役員にと考えていた私は、この異動が左遷のように感じられて本当にショックで落ち込んでいました。そんな時、ある人から『左遷の哲学』という本を渡されました。簡単に説明すると「人間万事塞翁が馬」という内容で、何が良くて何が悪いのか、後になってみないと分からないのだから、目の前のことに集中しろという話が書かれているものです。これを読んで、「もう一度頑張ろう」という気持ちが湧いてきました。

当時、パーソルテンプスタッフは神奈川県のマーケットでなかなか売り上げを伸ばせない状況だったので、組織の約70人の社員全員と面談して現状の課題や各社員の想いを聞きました。業績アップのために私がターゲットに捉えたのは、2000年の秋からスタートした「マイライン」制度です。これはユーザーが使いたい電話会社を選んで登録するサービス(すでに廃止)で、当時、各電話会社が契約数を競っていました。

これは個人宅への訪問営業、いわゆる飛び込み営業なので、事務派遣中心の神奈川営業部では手掛けたことのない事業でした。マイラインの案件を請け負うなら新たに営業のできる派遣スタッフを集めて、教育しなくてはなりません。社員からは「これまでのサービスメニューにないからできない」「スタッフを集められない」というネガティブな声が上がったのですが、そこで信頼していたマネジャーが「やりましょう。やらない選択肢はありません」と言ってくれたことで、当時7人いたマネジャーが一丸となることができました。

このマイラインの案件を獲得した後は、毎日のように面談をしたり各拠点を巡回したり、クレーム対応したりして、駆け回りました。その結果、売り上げ目標を達成し、難易度の高い仕事を乗り越えることで部としての一体感も強まりました。
私は腰を据えて神奈川支店を底上げするつもりだったので、当時家族で住んでいた埼玉県から単身赴任して会社の近くにマンションの部屋も借りていたのです。ところが目標達成直後、辞令を受けてもとの部署に戻ることになりました。わずか8カ月の神奈川県生活でしたが、とても思い出深い日々でした。
(続)


●「【1】~家業を継がなかった私が人材サービスに関わるまで~」は、こちら
●「【3】~正直者はバカを見ない、創業者と両親からの学びを胸に~」は、こちら

このページをシェアする
目次
閉じる