雇用創出こそが最大の社会貢献。コロナ禍の激動の日々を支えたのは強い使命感 ─ PERSOL Group Award 受賞の裏に(8)杉浦奈津子 ─

パーソルグループでは年に1回、グループ内表彰「PERSOL Group Award」を実施しています。「PERSOL Group Award」とは、グループビジョン「はたらいて、笑おう。」を象徴するパーソル社員とその仕事の成果に贈られる、グループでもっとも栄誉ある賞のこと。各SBU、およびユニットに貢献し、提供価値を創出した社員を表彰しています。

本連載では、2021年度の「PERSOL Group Award」を受賞した社員のキャリアストーリーと、受賞の舞台裏をご紹介します。第8回目は、パーソルテンプスタッフ株式会社 杉浦 奈津子です。

コロナ禍で社会が混乱するなか、雇用を創出するために奔走していた杉浦を支えていたのは、傑出した使命感と責任感でした。

目次

突如始まった、名古屋・大阪間を行き来する日々

杉浦が担当するBPO領域とは、ビジネス・プロセス・アウトソーシング、つまり業務をそのプロセスごと一括して外部に業務委託する事業のこと。パーソルテンプスタッフはその受託を行っています。

それまでの杉浦の肩書きは、名古屋支社の中部BPOコーディネーション課のマネジャー。これに2020年4月から新たに、西日本BPOコーディネーション課のマネジャーという肩書きが加わりました。単に担当エリアが倍増しただけでなく、担当する案件や部下も大幅に増えたのですが、これが新型コロナウイルス(以下、コロナ)の感染拡大の時期と完全に一致していたことで、想定していた計画が大きく変わることになりました。

「辞令が下りた直後に、緊急事態宣言が発令されましたから、タイミングとしてはなんとも最悪ですよね。当時はまだコロナに対して正確な情報がなく、移動にも高い感染リスクが伴うと考えられていました。そのため名古屋と大阪を行き来するのも大変で、ほかに誰も乗っていないガラガラの新幹線の中で座席に除菌スプレーを振りまいて、除菌シートで手すりやテーブルを拭き上げてから着席するということを、毎回やっていました。自分が感染してしまう恐ろしさよりも、ウイルスを運んでしまうリスクのほうが怖かったですね」

しかし、真に向き合う相手はウイルスではありません。コロナ禍とともにスタートしたのは、想像を絶する激動の日々でした。杉浦はこの時期について、「まるでジェットコースターに乗っているような1年でした」と振り返ります。

コロナ禍で失われていく雇用に対して

「コロナ禍で、派遣スタッフやパート社員の就業先が突然休業を余儀なくされ、はたらけなくなるのは、ショッキングな現実でした。連日、『サービス業務は壊滅的だ』とか、『女性の仕事がなくなっている』などど、労働マーケットに関するネガティブなニュースを見るたびに、どうにか、この渦中にいる人々に仕事を届けなければという想いを強くしたものです」

中には会社から待機を命じられ、はたらくことも求職することもできない人たちも少なくなかったこの時期。その一方で、コロナ禍だからこそ生まれる仕事もありました。

「2020年の5月以降、自治体から臨時給付金関連のコールセンターや窓口、事務処理といった、コロナ関連の人材依頼が相次ぎました。私たちとしては、一度に何百人もの雇用につながるビッグプロジェクトです。しかし、契約内容によってはその仕事を紹介できないスタッフの方もいますから、話はそう簡単ではありません。毎日100人を超える応募が殺到する中で、誰にどのように仕事を紹介するかの配慮と判断を限られた人員で対応していたので、まさしく怒涛の日々でした」

しかし、こんな状況であっても、パーソルだからこそできる社会貢献がある。そんな想いをメンバーと共有し、杉浦は陣頭指揮をとります。

「この時期は本当に、メンバー全員が雇用をつくることに必死になっていました。それが世の中の役に立つのだと、何も言わなくても誰もが自然に同じ方向を向いていた感覚です。2年ほどマネジャーを務めていた名古屋オフィスのメンバーとはこれまでの関係性がありましたが、着任したばかりの大阪オフィスでは、まだ顔と名前も一致しない時期でしたから、同じ目標を目指して取り組んでくれたことは本当にありがたかったですね」

怒涛の日々の中でも泣きごとがいっさい聞こえてこなかったのも、誰もが「自分たちがやるしかない」という使命感に燃えていたからでした。

名古屋オフィスのメンバーと

全員が同じ目的に向けて邁進できた理由

「私たちが最も恐れていたのは情報事故です。個人情報の取り扱いについてはもちろんですし、スタッフの方の労働契約の内容にも気を使わなければなりません。しかし、私たちも人材不足でダブルチェックもままならない状況でしたから、時にはほかの関連部署に応援を要請したり、ほかのエリアの担当者が支援を申し出てくれたり、この時期は本当に総力をあげて目の前のミッションにあたっていました」

なぜ、それほど足並みをそろえて同じ目的に邁進することができたのか。杉浦の答えは明快でした。

「それこそが、私がパーソルではたらいている意味だと思います。誰もが会社の成長、そして自分の成長を目指して業務に取り組んでいるので、自ずと今やるべきことが共有されるのでしょうね。私自身、この時期を振り返ってみても、辛かったことなんてなかったと断言できます」

そんなチームの結束した想いが、結果的に中部エリアと西日本エリアにおいて、9カ月で4,036人もの雇用を創出。これが、「PERSOL Group Award」でも高く評価されました。

「ありがたいですよね。メンバーたちの努力が報われたということだと思います。何より、メンバーから『このチームでアワードを取れたことが良かった』という言葉が聞けたときは、すごくうれしかったです」

名古屋と大阪、2つの大都市圏でマネジメントを担う杉浦は、「1つのオフィスを任されるマネジャー職とは、1つの会社を任されているようなもの」と言います。

「はたらく人たちにとっては、マネジャーが変われば会社が変わるのと同じくらい、環境も変わります。そのくらい、マネジャーの考え方や方針というのは大切なんです。だから私はいつも、私の考え方や想いをみんなに伝えてきました」

杉浦は言います。民主主義とは多数決ではない、1人でも反対意見があったら、それを置き去りにしてはいけない、と。そう考えるリーダーだからこそ、皆が同じ方向を向いていられたのです。

自分たちの仕事がお客さまの課題解決につながる

パーソルグループに入社する前は、不動産開発を手掛ける外資系企業で役員秘書として活躍していた杉浦。しかし、5年ほど勤務したところで日本支社が海外へ移転することを機に、転職を考え始めます。

「2001年当時、人材業界は急成長中の注目ビジネスだったので、否が応でも目にとまりました。中でもピープルスタッフ(現・パーソルテンプスタッフ)は女性が活躍している印象が強く、管理職も女性ばかり。面接で会社を訪ねたときも、多くの女性が第一線で頑張っている様子が伝わってきて、ぜひ私もここではたらきたいと強く感じましたね」

性別にかかわらずチャンスを得やすい外資系企業ではたらいていた杉浦にとって、そんなピープルスタッフの環境は理想的。かくして転職を決めた杉浦は、役員秘書時代の経験を存分に活かしながら、人材業界でもその資質を発揮します。

「特技というより秘書時代の癖のようなものですが、仕事で一度でもかかわりを持った相手について、名前や会社名、肩書き、経歴などをすべて記憶する習慣があったんです。最盛期は200人くらいのデータが常に頭の中にありました。この力は現職でもお客さまの経歴や思考などを頭の中にインプットできたので、大いに役立ちました。……もっとも、みんなのスケジュールをいちいち覚えていたので、上司から『秘書じゃないんだから、そこまでしなくていいよ』とたしなめられてしまうこともありましたけど(笑)」

お客さまだけではなくメンバーの細かな所作やちょっとした一言も覚えていて、さりげなくサポートする、リーダーとして人材のことを第一に考えてきた、原点なのかもしれません。

「私、パーソルという社名に、とても共感しているんです。パーソルはパーソンとソリューションを掛け合わせた造語。そしてソリューションとは問題解決です。これは業務がお客さまの課題を解決することに直結する、今の私たちの立場と目的にぴったりですよね」

パーソルが目指す世界を、チームとして体現することにこれ以上ないくらいのやりがいを感じている杉浦。何物にも代え難い結束を武器に、今後もBPOチームはさらなる問題解決に取り組んでいくことになるでしょう。

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