【牧野友香子×元井洋子】「難聴のある私が大企業を辞めて、ゼロからのスタート」。困難を力に変える生き方とは?

パーソルグループは、はたらき方やはたらく価値観が多様化する今、あらゆるはたらく個人がより幸せに生き、自分らしくはたらくための一歩を踏み出すきっかけづくりを目的として、どなたでも気軽に参加できるオンラインセミナー「今、ニッポンのはたらくを考える会議」を定期開催しています。

障害者雇用支援月間である9月に合わせ、9月16日には「障害と共に生きる・はたらく」をテーマにしたセッションを開催しました。障害と一口に言っても、抱える困難は人によってさまざまです。一人ひとり異なる障害特性と困難に対し、いかに向き合っていくべきか。そのような問いに対してヒントを探るべく、同日に2つのセッションを開催しました。

今回は聴覚障害の当事者である牧野 友香子氏をゲストにお迎えした、Session1「『難聴のある私が大企業を辞めて、ゼロからのスタート』困難を力に変える生き方とは?」をレポートします。

【Session1】
「難聴のある私が大企業を辞めて、ゼロからのスタート」困難を力に変える生き方とは?

<登壇者>
牧野 友香子氏(株式会社デフサポ 代表取締役)

<モデレーター>
元井 洋子(パーソルチャレンジ株式会社 人材ソリューション本部 キャリア支援事業部 キャリアアドバイザー)

目次

重度難聴者として生まれて

元井:牧野さんは聴覚障害者とその家族をサポートする株式会社デフサポの代表を務めていらっしゃいます。まずは簡単にこれまでのご経歴から教えていただけますか。

牧野氏:私は先天性の重度難聴者として、大阪で生まれ育ちました。大学を卒業したあと、2011年からソニー株式会社の人事担当として7年勤務しましたが、出産した長女が50万人に1人の難病児であったことをきっかけに独立を決意し、難聴児支援のデフサポを立ち上げました。

難聴者というのはおよそ1,000人に1人の割合で生まれ、その9割以上は健常者の親から誕生しています。デフサポではそうした難聴者の実態をより多くの人に理解していただくために、啓発活動に取り組んでいるんです。

元井:難聴者の方が近くにいても、補聴器をつけて普通に生活していると、なかなか周囲が気付かないケースもありそうですね。

牧野氏:そうですね。私の場合、2歳の時にまったく音が聞こえていないことが判明したようで、2歳半から補聴器をつけるようになりました。聞こえないということは、自分もしゃべれないということで、両親から一つひとつの言葉とその発音を教わったのを覚えています。

幼稚園に入ってから、自分だけが補聴器をつけていることに気付き、そういう障害を抱えていることをなんとなく自覚していたのですが、本当に実感したのは小学校3~4年生のころでした。休み時間に話していた友達が突然、隣のグループの会話に「それ、分かる!」と飛び込むのを見て、「あれ、なぜこの子には隣りのグループの会話が聞こえていたんだろう」と疑問に思ったのがきっかけでした。これが耳が聞こえないことの不便さ、生きにくさを感じ始めた瞬間でもありました。

元井:なるほど。中学、高校と年齢を重ねる中で、それはコンプレックスになったのでしょうか?

牧野氏:やはり、会う人みんなの目線がまず補聴器にいくんですよ。昔の補聴器は大きかったので、なおさらでした。年齢的にも周囲と同じようにお洒落をしたいけど、耳が出る髪型は避けたかったり、さまざまな部分でコンプレックスは感じていました。特に、ちょうど携帯電話を持ち始める年ごろだったので、自分だけ友達と通話ができない(補聴器を付けても声が聞き取れないため)のは悲しかったですね。

元井:たしかに、身近な友達とのちょっとした違いが、ことさら気になる年ごろですよね。

牧野氏:そうなんです。でも大学時代になると、わりと吹っ切れて遊びまくっていましたけどね(笑)。

元井:それは何かきっかけがあったのでしょうか?

牧野氏:小中高はクラスがあるので、いつも固定のメンバーと一緒にいなければなりませんでしたが、大学ではそれがなくなり、私の境遇を理解してくれる人とだけ付き合っていればいい環境になりました。これは大きかったです。おかげで精神的にも随分身軽になって、いろんな人に会いに行こうという積極性も生まれました。

そこで気付いたのが、自分の接し方次第で、相手の態度も変わるということでした。こちらが障害に気後れすることなく気軽に接すると、たいていの人は耳が聞こえていないことが分かっても、「ああ、そうなんだ」と自然に受け止めてくれることを知ったんです。これでいっそういろんなことにチャレンジしようという意欲が湧いて、一気に世界が広がったように感じます。

難病児の出産が人生の転機に

元井:卒業後、就職先にソニーを選ばれたのには、何か理由があったのでしょうか?

牧野氏:就活でいろんな会社の人と会う中で、ソニーの人たちが特に個性的だったんです。実際、在職中に得た経験はそのあとの人生につながることが多くて、たとえば重要事項は必ず復唱して確認するくせがついたのもこのころでした。というのも、たとえば上司から「1時から打ち合わせだからね」と言われた場合、私からすると「1時」と「2時」は口の形が一緒なので分かりにくいんです。そこで念のため、「分かりました、1時にミーティングですね」と確認するのがマストになりました。

元井:なるほど!たしかに口の動きは一緒ですね。社会人として間違いを減らす、大切な習慣だと思います。

牧野氏:それも何度もミスを繰り返したからこそ身についた習慣なんですけどね(笑)。

元井:そして牧野さんはソニー在職中に、結婚と出産を経験されています。ところが、生まれてきたお子さんもまた、難病児であったことが判明し、これが人生の転機になりました。

牧野氏:心のどこかでは、難聴の子どもが生まれることもあるかもしれないと覚悟はしていたのですが、まったく関係ない別の難病を抱えた子を持つことになり、一時は絶望的な気持ちになりました。耳の聞こえない私に、難病児を育て上げることなんてできるのだろうか、と。

元井:そこで牧野さんはどのように気持ちを立て直したのでしょうか。

牧野氏:両親や夫が、「大丈夫、どうにかしてやるから」と言い続けてくれたのは心強かったですね。味方がいると実感することで、次第に力が湧いてくるのを感じました。ただ、もちろん人並み以上の苦労もありました。まず、赤ちゃんの泣き声が聞こえないので、少なくとも夫が帰ってくるまでは寝ないで見守っていなければなりません。

また、長女がぜんそくを患ったときも、私にはヒューヒューという咳の音が聞き分けられず、すぐに気付いてあげることができませんでした。子育てにおいて耳から入ってくる情報がいかに重要か、思い知らされましたね。

元井:なるほど。それでもやがて第二子にも恵まれ、二人のお子さんの子育てに励む中、牧野さんは退職を決意されています。このときはどのような心境だったのでしょうか。

牧野氏:障害者はどうしても職業の選択肢が少ないので、退職は本当に勇気のいる決断でした。それでも、自分の体験を踏まえて聴覚障害者とその家族をサポートしたいという思いが勝り、起業を決めました。

今、あの時独立を決断して良かったと心から思えるのは、生まれたお子さんが聴覚障害者と分かって泣きながら連絡をくれた親御さんが、2年後にはニコニコしながら「子どもが可愛くて仕方がないんです」と元気に子育てをしている様子をたくさん見ているからです。

元井:牧野さんとの出会いで救われた人たちがたくさんいらっしゃるんですね。

牧野氏:そうであれば本当にうれしいですね。

聴覚障害者を取り巻く不便とは?

元井:ところで、こうして聴覚障害者の方は日ごろ、生活の中でどのような不便さを抱えているのでしょうか。

牧野氏:まず、雑談が分からないというのは大きいですね。たとえば部内の飲み会をセッティングしたとき、私はなんの気なしに焼き鳥屋さんを予約したのですが、実はメンバーの中にお肉が苦手な人がいたことをあとから知りました。そういう情報って、雑談の中でしか分からないことなんですよ。

元井:なるほど。人間関係の部分で、たしかにこれは不便なことではありますね。

牧野氏:それに、音に関するマナーが身につかないという問題もあります。物を置くときや足音など、人前で大きな音を立てないというマナーは、健常者であれば普通に身についているものですが、私は自分が立てている音がわかりません。

何しろボールペンのペン先を出し入れするのに、カチカチと音が鳴っていることを私は知りませんでしたからね。仕事中に悪気なくずっとカチカチやっていたら、隣りの人から「うるさい」と言われてびっくりしたことがありました(笑)。ほかにも無自覚に不快なノイズをたくさん発しているのではないかと、途端に不安になりました。

元井:では、仕事の面ではいかがでしょうか?

牧野氏:キャリアアップできないというのは大きな問題かもしれません。仮に、障害者が課長になりたい、部長になりたいと望んでも、そのロールモデルすら存在しないのが実情です。それに、上の立場になるほど、聴覚が必要な局面が増えるでしょう。部下の方のちょっとした変化を察して、早めにケアしてあげるようなことは、やはり聴覚障害者には難しいのではないかと思いますし。

元井:ただ、そうした苦労に直面しながらも、牧野さんは非常に明るく、笑顔で過ごしていらっしゃいますよね。何か秘訣があるのでしょうか。

牧野氏:親が愛情を持って育ててくれたことが大きいと思います。聞こえていないからといって「これはやらなくていいよ」と言われることもなく、私は普通の子どもと同じように育てられました。おかげで耳が不自由である事実を悪いことだと認識することもなく、単なる不便の一つとして、あまり気にせず生きてこられましたから。

元井:それは本当に素晴らしいご両親ですね。最後に今後の目標を聞かせていただけますか。

牧野氏:耳が聞こえなくても、さまざまなことにチャレンジし、より多くの難聴者が夢を持てる世の中にしたい。これに尽きます。そのためにデフサポという会社を通して、できるかぎりのことに取り組んでいきたいと思いますので、ぜひ見守っていただければうれしいです。

元井:牧野さんの活動に今後も注目しています。本日は貴重なお話をありがとうございました。

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