
パーソルグループでは年に1回、グループ内表彰「PERSOL Group Awards」を実施しています。「PERSOL Group Awards」とは、グループビジョン「はたらいて、笑おう。」を象徴するパーソル社員とその仕事の成果に贈られる、グループで最も栄誉ある賞のこと。各SBU、およびユニットに貢献し、提供価値を創出した社員を表彰しています。
本連載「歩み続けるそれぞれのストーリー」は、2025年度「PERSOL Group Awards」を受賞した社員たちそれぞれが、どんな人生を歩んで成長し、受賞の栄誉を勝ち取るに至ったのか——。彼らの人生を形づくるバックボーンや、仕事への情熱、そして大切にしている想いが生まれたエピソードなど、これまでの歩みをストーリーでご紹介します。
プロフィール:
パーソルキャリア株式会社 藤原 奈菜(2015年入社)
受賞案件サマリ:
藤原は、日本でも有数の大手メーカーグループの採用支援に従事。人材紹介のみならず、ポテンシャル採用層の紹介や派遣事業との連携、スカウト制度などを通し、長期的に見た採用計画の提案や人材課題の解決策の提案などを実施。その成果が認められ、担当顧客グループ全体の採用の統括役として信頼を得るまでとなった。
人生最大の挫折でどん底にいる私が出会った謎の先輩。まさに未知との遭遇
「どうしてあんな笑顔でいられるんだろう」
それは私が大学生だったころの話。先輩をはじめて見たとき、率直にそう思った。高校生に対するキャリア教育を行うNPOで一緒に活動している、同じ大学の先輩だった。当時、先輩はすでに4年以上も大学に在籍していて、講義にあまり出席せず、8年フルでいるつもりと吹聴していた。しかも一度は社会人になったのに、また大学に戻ってきたというのだ。「人生のレールから、完全に脱線している。ゴールどころか、どこを走るべきかすらも見失っている」と思った。信じられなかった。そんなことが許されるのか、社会に、親に、何より自分に。私ならきっと無理だ。同じ立場なら、あんな風に笑えない。
でもなぜかその先輩の笑顔を見ていると、私も楽しい気持ちになる。いつまでも見ていたいというか、一緒に笑いたいというか。そんな笑顔だ。だから、先輩の周りには笑顔があふれていた。NPOでその先輩に進路について相談した高校生は、いつも笑って楽しそうに帰っていった。
「どうしたらあんな笑顔でいられるんだろう」
私がうらやましく思ったのは、私も自分が思い描く人生のレールを脱線していたからだ。それまで目指していたゴールも、途中通過するはずの駅も、みんな見失っていた。だから心から笑えなかった。
生まれてからずっと、私は優秀な子だった。勉強は何をやってもできた。親に褒められ、期待されていた。期待に応えようと、自ら親が敷いたレールに沿って走り続けていた。そのレールを走り続ければ、誰もがうらやむ夢のような人生のゴールにたどり着けると盲信していた。
その一つの重要な中継点が、大学だった。小中高とがんばってきたのも、ひとえに目指した大学に入るため。がんばったから、大丈夫、きっとその大学に入れる。親も私もそう思っていた。
でも、大学受験は失敗。
私は希望していなかった大学に入学した。想像もしていなかった大学生活だった。
人生で最大の挫折。
そう思って入学後しばらくは絶望感で、何もやる気がしなかったほどだ。
「この大学ではイメージしていた社会人になれない」
そんな風に思っていた。今振り返ると、とても失礼なヤツだと、本気で思う。
でも、そんな失礼モードで周りを少し下に見てもいたからこそ、楽しそうに笑っている先輩が不思議だったのだ。

自分の対極にいるはずの先輩。彼の言葉が、私にもう一度、前に進む力をくれた
「自分の人生なんだから、好きなことをやるのがいいよ」
先輩のそんな言葉が聞こえてきた。NPOで高校生から進路相談を受けているときだった。「え?そんな勝手な」と脊髄反射で思いつつ、その言葉が私の心の冷え固まった部分を優しく温めて溶かしていくのを感じていた。
そもそもNPOに参加したのも、絶望状態から少しくらいは這い上がりたいと思ったからだった。せっかく入った大学だし、無駄に時間を過ごすのはもったいない。取れる資格を取ろう。一般的なのは、教員免許だ。そんな流れで教職コースに進んだ。それで、教員になるなら今から子どもたちと触れあっておく方がいいな、と同期に誘われたそのNPOに参加した。自分で自分に新しいレールを敷いたのだ。それまでレールに従って生きてきたから、レールがないと不安だったのだ。
先輩の「好きなこと」の言葉を考えた。私の好きなことってなんだろう。今まで好き嫌いより、やった方が良いよ、良い人生になるよ、と言われることを黙々とやってきた。好きかどうかなんて、ほぼ考えていなかった。できるかどうかだった。
「家の都合で早くはたらかないとダメで、看護師になろうかなと思っている。でも私に看護師が務まるかどうか不安で。そんなので将来を決めちゃっていいのかな……?」。目の前の高校生がそんな相談をしてきた。私にはすぐ答えられなかった。私と高校生はほとんど歳が変わらないし、私はずっと学校だけで生きてきて、そこで知った職業のことしか分からない。
「看護師の仕事は好きそう?なりたい自分ってある?看護師はそこにつながっていく?」と、質問に質問で返していた。そして、その質問は、自分自身に向けた質問でもあった。
「好きなことってあるの?なりたい自分ってあるの?」
先輩の声がまた聞こえてきた。大きな笑い声とともに「いろんなことをしてみればいいと思うよ。いろいろなことをするうちに、『好き』が見つかるかもしれない。そうしたら、それを必死でがんばればいい。選んだ『好き』を人生の正解にするんだ。君の人生だから、君が自由に、なんでもできるんだよ」。
私の心を覆う冷たい氷が、音を立てて崩れていった。その氷とは、凝り固まった固定観念だ。「親が勧めたレールに乗っていれば、良い大学に行って良い会社に入れる。それだけが幸せな人生だ」という固定観念。たった一つのゴールしか見ていなかったなんて、なんてもったいない生き方だったんだ、と今なら思える。
私は私の人生を生きる、だからやりたいことをすればいい。それを人生の正解にするために、がんばればいいのだ。

「自分の好きなこと」を探す日々。「選んだ人生を正解にする」ためのチャレンジ
そこから私の、人生を切り開くチャレンジが始まった。私が立っているのは既定路線などない道なき草原だ。360度、自分の意志で、好奇心で、どこへでも行ける。だから、さまざまなことにチャレンジした。「これは面白そう。好きかも」という心の声に従って。
そうすると、自分が興味を持つもの、好きだと思うものが少しずつ分かってきた。
まずは、人と会うこと。それも立場も境遇も視点も価値観も違う人と。刺激があふれていた。
そして、人と話すこと。相談に乗って、力になれないか一緒に悩むことにやりがいを感じた。
たまたまだったけれど、NPOの活動はとても私に向いていた。それに気付いてどっぷりと浸かっていった。
「勉強が苦手で、学校に行かなくちゃと思うと体が動かなくて」。不登校に悩んでいる高校生からの相談だった。あまりに自分と境遇が違い、どう答えようか悩んだ。だから、答えるのではなく、話を聞いた。家のこと、学校のこと、先生のこと、勉強のこと、友だちのこと。「友だちに会いたい」と寂しそうにその子は言った。
「じゃあ友だちに会いに行けばいいんじゃない?それが楽しくて好きなことなら、それを大切にしよう。学校は友だちと自分が一緒にいるところ。そう思って、学校を自分の好きなことができる場所にしちゃうのはどう?」。そう言った私の言葉に、その子はパッと顔を上げて私の目を見て、大粒の涙を流した。そして最後には笑顔で、「話を聞いてくれてありがとう。がんばろうって思える言葉がもらえました」と言ってくれた。
そのときに、私のやりたいことが見えてきた。
「教師になろう。人生を切り開く力をあげられる、若者を導けるような存在になりたい」
人生にとって大切なものをあげる「GIVE」をしたい、というのが私の人生の目標となった。そのために、まずは就職して、数年かけて社会を知りたい。広くこの世界を知っていなければ、なりたい教師にはなれないぞ、と考えた。就活は、いろんな企業とビジネスができ、多様な人と会える会社へ、と軸を決めた。そしてパーソルキャリアに就職した。
選考を通して出会った社員が、柔軟な視点を持っていて、興味深いバックグラウンドを話してくれたのが決め手だった。ここは居心地が良いぞ、と直感で思った。そして、たくさんの人に出会って話をし、目指す教師になるために役立つ経験ができるぞ、と。
会社員として5年過ごし、教師になろうとプランを立てた。
夢中ではたらいていたら、その5年はあっという間に過ぎた。いま11年目。私はどっぷりとこの仕事にはまって、「まだまだここではたらきたい」と思っている。結局、教師になるというレールは選ばなかった。この仕事が好きで、興味を刺激し続けてくれるから。それに仕事を通して、教師としてやりたかったことがしっかりできていると感じているから。「この仕事で走り続けたい。もっと活躍したい」と、ずっと思えるのだ。
その理由は、人材紹介事業がお客さまのビジネスを、そして転職希望者の人生を、より良くするお手伝いをする仕事だから。やりたかったGIVEをする仕事だからだ。

GIVEの積み重ねがいつか大きなGIVEを返してくれることがある。それが仕事の醍醐味
何よりもまずGIVEをするために営業の仕事を選ぶ、というのは「契約を取ってくる」という印象がある営業の仕事から想像しにくいかもしれない。でも私の根底に流れていて、原動力となっているのはその想いなのだ。私は人生を賭けて、たくさんの人にGIVEを続ける。
今メインで担当しているお客さまに対しては、特にその想いを発揮している。日本を代表する一大グループ企業で、さまざまな子会社があり、事業も多い。課題もさまざまで、会社や時期、部署で必要なスキル・経歴など求められる人材もそれぞれ違う。各社を回り、話を聞き、一緒に悩んで、課題を解決するための方法を提案する。時には人材紹介が課題解決法ではないときもある。そのときは、自社の利益はひとまず置いておき、お客さまの課題を解決できる方法をどうしたら実現できるか、一緒に考える。私はそうしてお客さま目線を大切にしてGIVEを続けている。それが私の信念でもあるから。だから「お客さまのためならなんでもできる」と奔走する。そんな自分を受け止め、自由に走らせてくれる会社だから、私はパーソルキャリアの仕事にどっぷりはまっている。
GIVEを貫いていれば、いつか自分にも返ってくることがあると、私は信じている。それは正しかった、とこのメインのお客さまで証明された。
人材紹介はもとより、さまざまな課題に一緒に悩み、解決に取り組んできたことで、徐々に担当する部門が広がっていき、いつしかグループ会社をすべて任せてもらえるようになったのだ。
「藤原さんはどんなに手間のかかる内容でも即対応し、速いスピードで対応してくれる」
「当グループの採用については、まずパーソルに相談したい。その際、パーソルオールの提案を藤原さんから受けたい」
そんな最高にうれしい言葉とともに、決定してもらえたのだ。
GIVEの積み重ねで、本当にとてつもなく大きなGIVEを返してもらえた。大きなチャンスをもらえたのだ。
高校生までずっと目指していた人生から、大きく離れたところで、私は生きている。出会ったお客さまや人と一緒に悩み、自分からGIVEするなんて、想像もしたことがなかった。あのころに走っていたレールの先にあったであろう人生からしたら、とてつもなく曲がりくねって、スピードも遅く、何よりしんどい人生に違いない。
「あんな大きな会社を担当して、業務も多忙で大変なのに、藤原はいつもどうしてあんな風に笑っていられるんだ」ときどきそうやって心配されたり不思議がられたりすることがある。でもその言葉がすごくうれしい。「自分の人生を生きている」という気がするのだ。自分で選び、進み、勝ち取った人生だ。今着々と、私の人生は正解に近づいている。そう実感して、あの先輩のように、楽しそうに笑えていると思う。

パーソルグループは、「“はたらくWell-being”創造カンパニー」として、2030年には「人の可能性を広げることで、100万人のより良い“はたらく機会”を創出する」ことを目指しています。
さまざまな事業・サービスを通じて、はたらく人々の多様なニーズに応え、可能性を広げることで、世界中の誰もが「はたらいて、笑おう。」を実感できる社会を創造します。





