未来は変えられる。推計が示す悲観を超えて、意志ある「明るい社会」を描き出す。中俣 良太/PERSOL Group Awards2025 歩み続けるそれぞれのストーリー

パーソルグループでは年に1回、グループ内表彰「PERSOL Group Awards」を実施しています。「PERSOL Group Awards」とは、グループビジョン「はたらいて、笑おう。」を象徴するパーソル社員とその仕事の成果に贈られる、グループで最も栄誉ある賞のこと。各SBU、およびユニットに貢献し、提供価値を創出した社員を表彰しています。

本連載「歩み続けるそれぞれのストーリー」は、2025年度「PERSOL Group Awards」を受賞した社員たちそれぞれが、どんな人生を歩んで成長し、受賞の栄誉を勝ち取るに至ったのか——。彼らの人生を形づくるバックボーンや、仕事への情熱、そして大切にしている想いが生まれたエピソードなど、これまでの歩みをストーリーでご紹介します。

プロフィール:
株式会社パーソル総合研究所 中俣 良太(2022年入社)

受賞案件サマリ:
人口減少や少子高齢化がより一層加速し、その影響で労働力不足の状況が生まれている。メディアや報道で「人手不足」というワードを聞かない日はない。そんな日本の労働力不足を、従来の「人手」の単位ではなく「労働時間」の単位で分析・予測したのが、中俣らのプロジェクト。史上初の視点で10年先の労働市場の姿を描いた中俣らの未来推計は、大きな話題となって社会の注目を集めている。

目次

信じて、背負って、やり抜いて。「努力は必ず報われる」を体現してきた半生。

これまでの自分の半生は次のような感じだ。自己紹介もかねてまとめてみた。

鹿児島県で生まれる。3人兄弟の末っ子。まっすぐに「人の言葉」を信じる子で、サンタクロースを信じていた時期も中学3年生くらいまでと、人よりだいぶ長かったかもしれない。

人の言葉を疑うことを知らない。だからこそ、変に正義感が強かったのかもしれない。誰に対しても優しく、悩みがあれば相談に乗り、一人でいる人がいれば「ほっとけない」と声をかけにいった。今振り返れば、あれは一種の「偽善」だったようにも思う。「他人に優しい自分」が好きで、自己満足でそう振る舞っていただけだ。相手からすれば、とんだありがた迷惑だったかもしれないのに。

ただ、動機はどうあれ、一度口にした約束は守る。人一倍責任感が強く、特に他人も巻き込む目標に関しては、是が非でも達成してきた。当時はAKB48の大ファンで、選抜総選挙で高橋 みなみさんが言っていた「努力は必ず報われる」という言葉を信じていた。その言葉を胸に、修羅場にぶつかっても「自分ならやればできる」と、壁を乗り越えてきたのだと思う。

なぜ、そんな青臭い言葉を信じ続けることができたのだろうか。その理由は、間違いなく両親のおかげだ。努力しても報われないことの方が多い世の中で、「努力すれば報われる状態」で居続けられたこと。それは自分の努力・才能云々ではなく、親が整えてくれた教育や環境があってこそだったと、今は心から感謝している。

ただ、当時はそんな親のありがたみよりも、窮屈さの方を強く感じていた。両親は地元で顔が広く、どこへ遊びに行っても誰かしらが両親に状況報告するような環境で育った。「ムラ社会的な風土は少し息苦しいな」と感じ、大学は東京に行こうと決めていた。

大学での専攻は、観光心理学。兄たちの受験期と重なり家族旅行の思い出が少なかった反動で、“旅”へのあこがれがあった。また、そこで「人の気持ちをデータで可視化する」心理学的研究に出会い、面白さを感じ、没頭した。周りの友人がブツブツ文句を言いながら論文を書いている中でも、自分は案外、そのプロセスを楽しめていた。昔から自分にしかつくれない独自の作品をつくるのが好きだったので、性に合っていたのだと思う。加えて、奨学金の返済免除がかかっていたこともあり、誰よりも時間と労力を費やして研究と向き合った結果、最後の修士論文では学科で1位となった。

「このまま研究者の道へ進んでは?」と教授や先輩らにすすめられたが、アカデミックな世界よりも、もっと手触り感のある社会貢献がしたいと考えた。データ分析の実務経験を積むためにも、民間の市場調査会社に就職を決めた。

入社当時は、正直かなり尖っていたと思う。配属早々、上司と喧嘩をしたり、納得がいかないことは空気を読まずに全体の場で意見をしたり。今思えば、本当に「くそ生意気」な新人だったと自分でも思う。間違いなく、絶対に部下にしたくない新人ナンバー1だろう。ただ、他人に生意気な口をきく以上、自分自身がちゃんとしていなければかっこがつかない。そうやって自ら逃げ場をなくし、仕事に打ち込んだ。その甲斐あってか、新卒1年目にしては、同期と比べてもかなり幅広く、濃い経験を積むことができたと思う。

私は「自分のため」にはがんばれないが、「他人のため」や「人から期待される」とその倍がんばってしまう性格なのだと思う。当時は上司や同僚からの期待を強く感じていたため、それに応えようと長時間労働もいとわずにはたらいた。でも、知らず知らずのうちに心身は限界を超えていたようだ。ある朝、びっくりするくらい体が動かない。スイッチが入らない。

そのまま休職することになった。これが人生で一番大きな挫折だった。「こんなボロボロの自分を、今の会社は受け入れてくれないだろう」。そう思い込んで自暴自棄になり、逃げるように転職活動を行ってみたが、結果は見事なまでに全敗。後ろ向きな動機での転職活動はうまくいかないのだと、身をもって痛感した。

当時、世の中ではドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』が流行っていた。ドラマ自体は面白かったものの、タイトルにはなぜか共感できなかった。そう思っていた自分が、一番逃げようとしていた。その矛盾に気付き、腹を括った。

結局、もとの会社への復職を選んだ。配属を変える打診もあったが、あえて同じチームに戻ることを希望した。メンバーは私を快く迎え入れてくれた。もちろん、復職したてで腫れ物に触るような、過度な気遣いもあったとは思う。それでもうれしかった。「ここには、ちゃんと自分の居場所があるんだ」と思えたから。

そこからは「チームのためにがんばろう」というマインドに切り替わったのかもしれない。相変わらずはたらく時間は長かったが、仕事終わりに仲間と飲みに行く機会も増え、不思議と苦しくはなかった。

そうして入社から3年が経ったころ、転職を決意した。会社への不満はまったくなかった。むしろ居心地が良すぎて、ずっとここにいたいとさえ思った。けれど、やっぱり「研究」がしたかった。自分自身が休職した経験や、同じように体調を崩していく同期たちを見てきた経験から、単なる市場調査ではなく、もっと本質的な「はたらく」ことそのものを研究したいという想いが抑えきれなくなっていた。

そんなときに出会ったのが、パーソル総合研究所だった。掲げられていた「はたらいて、笑おう。」というグループビジョン。それが、当時の自分には痛いほど刺さり、ここしかないと決意した。

「調査」で終わらせてはいけない。「研究」という高い壁と、孤独な模索の日々

大学院や前職での経験から、今の会社で行う仕事にはある程度自信があった。「はたらく」を科学するというアプローチにも親和性を感じていた。しかし、現実は甘くなかった。入社して痛感したのは、「調査」と「研究」は似て非なるものだ、ということだ。

これまでの調査は「網羅性」が重視され、正確なデータを納品すればゴールだった。しかし、この会社で求められるのは、その先にある「受け手の行動変容」だ。いくら精緻なデータでも、伝わらなければ意味がない。分かりやすさと、現場で使える実務的インパクトこそが重要だった。

ここが最大の壁だった。私には一社員としての経験はあっても、人事としての実務経験はゼロだ。何が現場の課題解決につながるのか、肌感覚として持っていない。入社して2年ほどは、いくらがんばっても空回りする感覚が続いた。

加えて、研究は孤独だった。チームで励まし合い、切磋琢磨していた前職とは違い、研究員は基本的に一人でテーマに向き合う。クライアントがいるわけでもない。正解のない問いを、一人で黙々と掘り下げる日々。

「自分はこのままでいいのか」。モチベーションの火が消えかかっていた、まさにその時。アサインされたのが、今回のプロジェクトだった。

未来を測るモノサシを、「人」から「時間」へ変えた挑戦

プロジェクトの目的は、現況が続いた場合の10年後の労働市場、つまり2035年に労働力不足がどれほど深刻化するかをシミュレーションすることだった。当初は、前回(2018年)のモデルを踏襲し、「何人の人手が足りなくなるか」を予測する予定だった。

しかし、スタート時点から拭えない違和感があった。「人手不足」という言葉そのものへの違和感だ。メディアでは連日「人手不足」が叫ばれている。だがデータを紐解くと、実は日本の就業者数は長期的に見れば増え続けているのだ。人は増えているのに、足りない——。この矛盾はなんなのか。そこには、短時間労働の増加や働き方の多様化という構造変化があった。今の日本は「“人手”はあるけど、“労働量”が足りていない」のだ。

未来の労働力不足は、“人”の単位ではなく、“労働時間”の単位で予測すべきだ——。そう確信し、方針転換を決めた。

しかし、周囲の反応は渋かった。「時間単位の推計なんて、分かりにくくないか?」「計算が複雑すぎて、手間もリスクも大きすぎる」。そもそも私たちは未来予測の専門家ではない。知見ゼロの素人集団が挑むには、あまりにハードルが高い。批判的な意見を聞くたびに、何度も「前回踏襲」という安全策が頭をよぎった。

それでも、腹を括った。単なる前回踏襲ではつまらないし、未来の実態を正しく描けない。それに、「手間がかかって大変」なだけなら、自分ならやればできる。できるまでやればいい。かつての「生意気な新人」時代の熱量が蘇ってきた。

時には喧嘩に近いほど激しく議論を戦わせることもあった。でも、それがうれしかった。ずっと一人で研究と向き合っていた自分にとって、久しぶりにチームで一つのゴールを目指す感覚。そこには、これまでの孤独な研究生活にはなかった、確かな高揚感があった。

1,775万時間の労働力不足——。この数字は悲観すべき未来ではない。私たちが、幸せにはたらくための出発点だ

2035年、日本の労働市場では、1日あたり1,775万時間の労働時間が不足する。これが、プロジェクトが導き出した未来推計だ。

「労働時間」という初の切り口で行ったこの推計は、広報チームとの連携によって広く社会へ発信され、大きな反響を呼んだ。社内では社長賞を受賞し、多くのアワードやメディアでも取り上げられた。講演の依頼も増え、当初の目的は十二分に達成されたと思う。

「1日あたり1,775万時間の不足」。この数字だけを見れば、日本の未来は悲観的に映るかもしれない。しかし、これはあくまで「現況がこのまま続いた場合」のシミュレーションに過ぎない。未来は、ここから変えられる。この数字は、単に労働力不足をどう解消するかという課題だけでなく、「はたらくすべての人が、いかに楽しく幸せにはたらけるか」を私たちに問いかけているのだと思う。

そして、このプロジェクトで得たものは、対外的な成果だけではなかった。社内外のさまざまなメンバー、グループ会社の仲間たち。多くの人との接点を持つことができた。

正直に言えば、人と接していれば嫌なこともあるし、腹が立つことだってある。一人で黙々と作業する方が気楽なときもある。けれど、今回のプロジェクトを通じて痛感した。私は結局、人とかかわることでしか幸せを感じられない人間なのだ、と。

これから先も、ここで出会った仲間たちとともに、社会に貢献する動きを仕掛けていきたい。今は素直に、そう思っている。

パーソルグループは、「“はたらくWell-being”創造カンパニー」として、2030年には「人の可能性を広げることで、100万人のより良い“はたらく機会”を創出する」ことを目指しています。
さまざまな事業・サービスを通じて、はたらく人々の多様なニーズに応え、可能性を広げることで、世界中の誰もが「はたらいて、笑おう。」を実感できる社会を創造します。

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