
パーソルグループは、すべてのはたらく人たちが「はたらいて、笑おう。」を実感できる社会の実現を目指し、DEI(Diversity, Equity & Inclusion)を推進しています。
本連載では、生まれた場所や育った環境、年齢、性別、経験、価値観などの違いを可能性と捉え、多様なキャリアを歩む社員を紹介します。
第12回目は、パーソルキャリア株式会社の正木 あゆ美です。
「管理職の仕事って、人を預かり、グループを育て、組織としての出力を大きくすることで、会社のエンジンにしていくことだと思います。それを設計するところから携われることがやりがい、面白さだと思っていて。うまくいかないことなんて毎日ありますが、もっと自分がやれることを増やしたいし、自分の引き出しをたくさんつくりたいですね」
そう前向きに語る正木は、パーソルキャリアの人事本部で、2022年から人事サービス推進部 労務・健康推進グループのマネジャーを務めています。
正木がマネジャーに就いたのは40代に入ってから。2001年に入社以来、複数の部署での勤務を経験し、子ども二人の出産を経て、じっくりとキャリアを重ねてきました。
「最前線から脱落した気がした」という営業時代から、「マネジャーとしての在り方をしめしてくれた」という女性上司との出会い、現在に至るまでを振り返ります。
兄からのすすめでパーソルキャリアへ
東京都杉並区で生まれ育った正木は、父親の仕事の都合で小学校1年生から4年生まで台湾で過ごしました。今よりずっと素朴でのどかだった台湾で伸び伸びと暮らしたことが、自身の人格形成にも影響していると言います。
「当時はアジアの発展途上国という雰囲気で、いろいろなことが整っていなかったぶん、おおらかに育ったと思います。一方で、今の常識では考えられないほど親から干渉されない海外生活だったので、幼いながらに『自分がしっかりしなきゃ』と考えていました。幼少期から比較的『しっかり者』と言われることが多い原点は、台湾時代にあると思います(笑)。」

帰国後は、小中高一貫の女子校に通学。中学、高校と上下関係が厳しいバレー部で揉まれたこともあり、「ぜんぜん違う環境に行きたい」と風土もまったく異なる私立大学文学部に進学し、美術史を専攻します。加入したテニスサークルでも幹部を務めるなど充実した4年間を送りましたが、就職活動では苦労しました。
2000年前後は就職氷河期で、面接まで進んでもなかなか内定を得られませんでした。苦しい時期、兄から「面白い会社があるよ」と教えてもらったのが、パーソルキャリア(旧インテリジェンス)でした。
「人材ビジネスという業界も確立されていない当時、若くて優秀で、とがっている雰囲気の人たちが『社会に価値ある何かを残す』と情熱的に訴えていて、その勢いに惹かれましたね。そのころの社員数は180人ぐらいなのに、新卒を80人採るという今から思えば無謀ともいえるような採用計画を進めていて、私はそこに滑り込んだような感じでした」
2001年4月に入社後、最初に配属されたのは、2歳年上の社員が代表を務める社内ベンチャー。代表を含めて先輩社員4名で20代専門の人材紹介を手掛けており、そこにほかの新卒男子3名とともに加わります。
しかし、事業として結果が振るわず、正木が3年目に入るタイミングで、本体に吸収合併。チームは解散となり、正木は人材紹介の部署に移ります。そこで2年はたらいたあと、人事部に異動しました。

「本体に合流してからは、なかなかうまくいかなかったですね。恐らく上司からもそう見られていたんだと思います。新卒採用プロジェクトに携わっていたこともあり当時の役員から『採用にいったらどうか』とすすめられて、異動が決まったんです。営業メインの会社に入ってフロントで活躍できなかったことを、その後10年ぐらい引きずっていました」
「仕事のスキルが足りない」という危機感
それでも失意に沈んでいる暇はありません。2004年秋から4年間、新卒採用に。当時はパーソルキャリア(旧インテリジェンス)単体で「500人採用」を実施するなど組織が急拡大している時期で、全国を駆け回ります。実はこの時期、アシスタントマネジャー(AM)にならないかという打診があったそうですが、体調を崩してしまったこともあり、このときは辞退しました。
2008年春から2013年秋までは、人事部内で新卒の研修・教育などを担当。その間に第一子、第二子の産休も取りました。
途中、新たに着任した上司からの指摘もあって「自分には仕事のスキルが足りない」と痛感していたと言う正木。その危機感から、第二子の産休から復帰後、「どこでも言われた場所に行きます。また一から頑張ります」と答えました。
その結果、2013年11月、人材紹介事業の企画部署に配属されました。この部署は、事業を横断的に見て「サービスクオリティをいかに上げるか」を課題提起し、実施するのがミッションです。ここでは、転職希望者の経験や志向性、希望に沿った求人を提案する機械学習を活用したレコメンドシステム、通称「セカンドマッチ」が進められており、正木はその実現可能性を検討するフィジビリ設計を任されました。
それまでは、担当のキャリアアドバイザーが転職希望者の経歴やリクエストをヒアリングし、自分の経験と感覚で求人を提案していました。人材紹介業務から久しく離れていた正木にフィジビリ設計を任せたのが、当時、企画部のゼネラルマネジャーだった和田 真由子(現doda事業本部 doda事業法人企画本部 本部長)でした。
「いかに人を成長させるかを考え抜く上司」から贈られた言葉
そのころは和田も育児中で、勤務時間は9時から16時台。同じく時短勤務をしていた正木にとって、和田は限られた時間の中で圧倒的な成果を見せる上司でした。
「配属が決まった日に、『セカンドマッチのフィジビリの設計、よろしくお願いします』と言われたときは、本当に無謀だなと思いました(笑)。でも、一緒に仕事をするようになって分かったんです。和田さんはメンバーを成長させる目標設定にとても真剣な方で、いかに人を成長させるのかを考え抜いているんですよね。メンバーの仕事もしっかり見ていて、一つ質問したら、百ぐらいの的確なアドバイスが返ってくるんです」
和田は中途半端な仕事に厳しく、常に生産性を高めることを求めました。正木がそれまで経験したことがないプレッシャーだったと言います。しかし、和田からの要求は決して好き嫌いや打算的なものではなく、背景には必ず「圧倒的な顧客志向」と「メンバーの成長支援」があるとメンバー全員が分かっていました。
また和田は、配下のメンバーが上級管理職との対応で苦慮した際には、「メンバーに対していろいろ言うのは、やめてください。言うんだったら、私に言ってください」と矢面に立ったこともありました。
まだ女性の管理職が少なかった当時、母親としての役割も果たしながら、リーダーとして先頭に立ち、敢然とチームを引っ張る姿を間近で見て、正木もなんとかその期待に応えようと食らいつきました。
そして「セカンドマッチ」のフィジビリの構築が軌道に乗った2017年、正木は所属部署のMVPを受賞します。その際、和田からもらったメッセージには、こう書かれていました。

「できるか、できないかではなくて、一人ひとりにいろいろな可能性があります。自分の役割はそれを見いだすこと。上手くいかないこともたくさんあったと思いますが、正木さんの強みは自己変革をしていけることで、それが一番素晴らしいところです」
二人の子育てと両立しながら、和田のもと新たな任務を果たしたこの5年間が、正木の大きな自信となりました。
「組織をつくるとはどういうことか、リーダーシップとは何か、たくさん学ばせてもらいました。大げさじゃなく、和田さんだったらどうするかなって今でも考えるくらいです」

マネジメントを始めて分かった得意と課題
「セカンドマッチ」にかかわる業務も一区切りを迎えたことから、社内公募制度を使って人事部に異動したのが2018年。それ以来、労務・健康推進を担っています。同じ人事部でも新卒採用や研修、教育とはまったく別の分野で、一から学んでいきました。それはまたハードな日々の始まりでしたが、「企画部での5年と比べれば」と思えば、乗り越えることができました。
仕事にも慣れ、これからのキャリアについて考える余裕ができた2021年、上司と目標設定をする際、「キャリアの選択肢を増やす上では、マネジメントにトライしたらどうか」という話になったのがきっかけで、AMに昇進。はじめてのマネジメント業務は、得意と課題がはっきりと分かれました。
「もともとの性格なのか、メンバーと向き合って成長をサポートするというのは苦になりませんでした。ただ、AMの先にあるマネジャーという道を考えたとき、どんなマネジャーになりたいのか、マネジャーになってこのグループをどうしたいのか、そのためにどういう戦略を描いているのかという問いに対する答えはなかなか出てきませんでした」
自らの課題に、とことん向き合った2年間。この時期もまた、自己変革のタイミングだったのかもしれません。日々の仕事を通じて、目先のことだけでなく未来を思い描くようになり、2022年10月、マネジャーに就任しました。
「『できるか、できないか』ということではなく、メンバー一人ひとりが持つ強みや可能性を見いだし、できるようになるにはマネジャーとしてどう支援したら良いかめちゃくちゃ考えて仕事を任せています。そして、何かが起きたときには、自分が責任を取るという覚悟で臨んでいます。大切なのは、『ここは』というところで腹をくくることだと思っています。最初からできることなんて一つもなく、今も日々挑戦、試行錯誤の連続です。何かあったらその日はウッときますけど、いろいろ経験してきたからこそ、すべてが糧になると自信を持って言えます。それが分かっているから、自分にも、メンバーにも『大丈夫だよ』『すべては次につながるよ』と言えて対処できるようになったと思います」
労務・健康推進は、営業などと違って分かりやすい成果が見えにくいように感じます。しかし、正木は自分の仕事を「パーソルキャリアが挑戦し続けるための環境づくり」と捉え、確かな手ごたえを感じています。
「マネジャーとして視点、視界、視座が上がるにつれ、大変だけれども思考や課題解決のレベルも上がっている実感があり、仕事が純粋に面白いですね。うれしいのは、メンバーの成長です。日々、いろいろな苦労をしながら仕事を積み重ねてくれているメンバーと一緒にマネジャーとして汗をかき、支援しながら、その経験を糧にして成長している姿を見ると、今日一日良かったなって本当に思えます。そして、さまざまな相談をどんと受け止めてくれる、自分の上司の存在も本当に大きく、何かあっても大丈夫、と安心してマネジャーとしても挑戦できていることに感謝しています」

<プロフィール>
正木 あゆ美(まさき あゆみ)
パーソルキャリア株式会社 人事本部 人事マネジメント統括部 人事サービス推進部 労務・健康推進グループ マネジャー
2001年4月に新卒でインテリジェンス(現パーソルキャリア)に入社。人材紹介事業における個人・法人顧客担当、人事(新卒採用、研修・教育)、人材紹介事業における企画業務、人事(労務関連全般、健康推進関連全般)を担当。
パーソルグループは、「“はたらくWell-being”創造カンパニー」として、2030年には「人の可能性を広げることで、100万人のより良い“はたらく機会”を創出する」ことを目指しています。
さまざまな事業・サービスを通じて、はたらく人々の多様なニーズに応え、可能性を広げることで、世界中の誰もが「はたらいて、笑おう。」を実感できる社会を創造します。